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三浦半島 走水神社

遠く迄行く暇も お金もなかったので…
だからといって 長く続いた 流行病の制約も緩んだようなので…
許されるという有り難さを 少し味わいたくて 週末のドライブもわたしの小旅行なのです。

三浦半島は わたしの大好きな場所で 何かしら懐かしい場所。

今日は 走水神社へ…
わたしの夢枕に現れて以来…時間ができたら 節目には参拝に行く。
そのおかげかさまざまな危難から避けられた。

ご存じの参拝者は少ないかもしれないけれど、常駐の神主さんがいらっしゃらない社殿は この港町の小さな鎮守さま。
町の人たちが総勢で 美観を支えている。それとは気づかない清々しさ。頭が下がります。毎回 参拝の折に声をかけてくださり ありがたいです。
ゆっくりしていきゃいい…と、都会疲れで逃げてきたわたしを 労ってくれる実家に戻ってきたようで…

そう。わたしのほんとうの実家はもっと遥か遠いのだもの…
たまには帰ってあげなよ…って言われたようで…
反省もしたり…

旅というのは そもそも むかしは帰って来られないかもしれないことを前提としていた。
今は当たり前の行き帰り。
よい時代になった。
なったが故に 大事なことを忘れちゃあいけない。
旅先で、感銘を受けて 反省して 新たな自分になって明日からまた歩き出しなさい。と。

御祭神 ヤマトタケルノミコトさまと オトタチバナヒメさまは 語っておられるようです。

長旅に 疲労せし君
 暫し やすめよ 
 急かぬでも 日は
 明日また のぼる

(左)走水神社社殿奥の歌碑。ヤマトタケルノミコトが走水の海(浦賀水道)を渡りたまいし時、渡の神の怒りを鎮めるために、オトタチバナヒメが身代わりに身を投げられたことが古事記に記されている。その時にヤマトタケルノミコトを思ってヒメが歌われた。「さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも」あの、焼津での火打ちの窮状にも、あなたは私に問いかけて下さったと。
この歌碑は、東郷平八郎・乃木希典らが議り、竹田宮昌子内親王の筆によって明治43年に建立された。高さ4メートルもの巨石である。


#わたしの旅行記

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