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"見えない壁"をすっ飛ばしたっていい。

"見えない壁"との付き合い方が分からなかった今まで


不思議なことに、僕は小さい頃から、
集団生活特有の "見えない壁"を意識して行動したことがありませんでした。


大人になってようやく その存在が分かるようになってきたのですが、


場の空気を読んで壁を作る、という考え方が、
どうしても腑に落ちない気持ちになっていました。


その思いが雰囲気で伝わったからか、いつしか僕の周りに壁が作られ 孤立させられる状況になった経験ばかりしてきました。



学生時代も、社会人になっても、

そういう時に何をすべきか分かっていなかったので、
"見えない壁"を想像する度に、ひたすら無力さを感じ続ける日々でした。



僕自身が興味のあった仕事場でも、
自分の性格に合うと機械ではじき出された職種であっても、


業務での姿勢は文句なし。なのに、

人間関係で孤立して、生きづらさをひたすら抱えたがために、ワークライフバランスを維持できなくなって、

いずれの職場も辞めざるを得なくなりました。



この5年、生活保護に頼らずにいられる収入を、一度も得られていません。



"じゃあ その間、何をしていたんだ?"

そう聞かれるのは前々から分かっていたのですが、

ようやく説明できる心境にたどり着きました。

「何と説明すべきか分からない葛藤と闘っていました」 と。


「日常生活での"違和感"を、
人知れず、数えきれないくらい抱える人生だった。」
と。


"違和感って何?" と聞かれるのも分かっています。


「例えば、その場の空気を正しく読まないと、仲良くなれないことです。」


"当たり前だ。みんなそうやってるんだから。"


「みんなやっているから守んなきゃいけない、っていう意味が分からないんです。」


"話にならない!" と大概の人は言うでしょう。



「話にならないから、自分で抱えこんだんですよ。」



面と向かった会話が 強制的に終わってしまうことも考えて、
この続きを書いておきます。



好きなものが違うだけで、なんで壁みたいな物を作って、"話しかけてこなくていい"みたいな姿勢になってしまうの?


みんな同じなんてあり得ないでしょ…。



あと、見た目と違うことを言った時に、
なんでみんな 嘲笑うだけなの?



"男なのに…" とか、"大人なのに…" とか、"ろくに働いてないお前が…" とか、

言う意味ある?



そういう風に壁をいちいち作るなよ。



壁を作らないように言葉を使ってほしいんだ。



積み重なった葛藤との格闘の末に得たもの


誰が何を好きになっても、僕はそれを受け入れます。


あなたと同じように好きになれるかは分からないけども、

僕はまず、あなたの好きな世界を受け入れます。



僕は、女性のグループや歌手、外国の歌手で好きな人も曲もあります。



ギャンブルのイメージが強い競馬ですが、
人間と馬とが紡ぐ物語として見るのが好きです。



国内外関係なく、生まれ育った場所以外の文化も、
好きになったら自分の生活に取り入れる姿勢でいます。



なんでもかんでも、”男だから、女だから” で物事を決めたくない、という感覚を持っています。


性別に関する無駄な固定観念はいらない、という考え方が「ジェンダーフリー」です。



体のしくみが異なるために、
男女を分けて考えた方が良い場合もあるのは理解しています。



でも、生きづらさばかりが残るような考えや言い方はなくしていかないといけないように思うんです。



「ジェンダーフリー」に生きる


参考文献:Wikipedia 「ジェンダーフリー」


僕が接してきた言葉の中で、実際に生きづらさを感じたものを書いておきます。



例1
”男だから、常にかっこ良くないといけない”

そうじゃないとダメなんですか?



例2
”男だから、力仕事を任せられるような体にならないといけないよ。”

生まれつき病弱な人のことも思って言ってる?
なりたくてもなれない人にまだそんなことを言うか。



例3
”男というのは、言い訳しちゃいけない生き物なんだ。”

そう言って忘れたいと思うのは 現実逃避だよ。
人間誰しも言い訳したい時があるに決まってるじゃん。
むしろ今の時代、今までの行動を自ら分析しないことには人生 成り立たないよ。
言い訳は生き残るための術であって、
我慢したり 現実逃避するのは自殺行為なんだよ。



例4
”人間なら誰しも、いつかは結婚したいと思うでしょ?”

結婚や恋愛をしなくても生きられているんだから、別にどっちでもいい。
無理なことなんてやる必要ない。



例5
”大人にもなって、生活保護だなんてみっともない。”

学生の内に貯金がなくなった僕は、なるべくしてなったんだ。
自分に合う仕事場が見つからなかっただけで、当然の流れですよ。



そういった何気なく放ったであろう言葉たちが、ひたすら僕を苦しめてきた事実、
僕も最近になって、根拠を伴ってやっと理解できました。



また、こんな考え方もできるようになりました。


昔の日本は男性と女性で できることが(同調圧力もあって)強制的に決められ、
男子校、女子校があって当たり前だということを受け入れた世代。

そして、「ジェンダーフリー」の考え方が浸透し、
どんな職種でも 性別関係なく仲間に入れてくれるのが当たり前だと
義務教育の内に学んでいる世代。


僕はその後者にあたる ということ、
この2つの考え方のもと 日本社会は成り立っている現実。



だから 例に示したような違和感が生まれるんだと、冷静に受け止められるようになりました。
(だからといって、このままでいいと言っているわけではありません。)



終わりに


今なら、僕自身をどう表せばいいか、胸を張って言えます。



僕のアイデンティティーが見つかった、とでも言いましょうか。



この数年間、自分自身をどう定義したらいいか ずっと考えていました。

その作業が終わらないことには、
お互いが満足できる仕事や自立した生活を受け取ることができない人間社会だということをこの身で体感したからです。



自閉症スペクトラム、ADHD、精神障がい者といった、生まれ持った要素のもと生きると決めた自分、

集団生活でのいじめ、家庭内での暴力(言葉の暴力)アルコール依存の恐ろしさに接した 子ども時代の自分。

大人になってそれらが苦手意識やトラウマになり、違和感や生きづらさを一人で抱えてきた ここ数年の自分。

「Aromantic」や性的マイノリティーから発展した「ジェンダーフリー」の考え方を理解した 今の自分。



「どれも自分自身なんだよ」と、今なら言えます。



特にここ数年は、毎日のように後ろを振り返っていて、
そんな僕に、周りからは賛否両論が聞こえてきていましたが、


そうしていたからこの表現ができるんだよと、
誰に対しても言える心身の状態になりました。



これからは、こんな僕を素直に発信し、
その活動が仕事や社会生活に反映できたらいいな という姿勢で生きようと思います。



無理なものには「無理です」と言い、
思い描いているものが無いなら、できる範囲で形にする
、ということです。



一度きりの人生、
できることをやります。

オーノ

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