永井均先生の<私>の哲学を検討する その8―2

永井均先生の著書
「<子ども>のための哲学」の電子書籍の58/332から引用を、再掲します。

一組みの男女がセックスをして、ある特定の人間が生まれ、そいつが「永井均」と名づけられる。そこには何の不思議もない。

でも、その子がどうしてぼくでなければならなかったのか、ぼくはどうしてそいつでなければならなかったのか、

ここにはどうにも説明のつかない神秘がある。

引用終わり

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私(=Nakayama)は、永井先生の書籍を丁寧に読んではいません。
それにも拘わらず、疑問を書いてることは、申し訳ないです。

上について、『ぼく』と言ってる内容は何であるかを考えます。

1 『ぼく』とは、現在の永井先生の精神、つまり、心に起きる現象の全体の意味である。

2 『ぼく』とは、永井先生の精神と身体である。

永井先生の身体が、別の人、例えば現在は高校生である女性の誰かの身体であってもよかった、
という状況は、自然科学の面から、極めて考え難い。

従って、永井先生の上の文は、
1の意味でしょう、と推測します。

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