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1年ぶりでございます

1年ぶりくらいに文章を書く。
この1年間は何かと理由をつけて全くnoteを更新しなかった。書かないと書けなくなって、書けないと更新されない。そんな負のループが長い時間かけて醸成されたわけである。
そして今、醸成された負のループを脱しようとしている。
いきなりそんなことができるのか!?と思うが、できる。なぜなら、私は先週から一人暮らしを始めたからである。『一人暮らし』『自立』なんか響きがカッコ良いじゃん!!楽しそう!!となっていた引っ越し前の自分を引っ叩いてやりたいくらいに、今、暇である。いかに自分が今まで家で話倒していたかが分かる。話す相手がいないとこんなにも時間があるのか。。。と心の底から思った。いっそのこと人形でも買って、そいつに延々と話しかけようかとも思ったが、もうすぐ22歳になる男が人形とおしゃべりしているというだけで、十分に不審者認定をいただけそうなのでやめておく。そうなると、思っていることとか、モヤっとしていることとか、わざわざ電話をしてまで話すようなことではないことを吐き出すには、書くしかない。書いて、読んでもらって、承認欲求を満たすのだ。皆さんには、この身勝手な娯楽に適度にお付き合い願いたい。


いきなり話が変わるが、昨日まで、僕は瀬戸内に卒業旅行に行っていた。瀬戸内の海は本当に穏やかだった。比喩ではなく本当に口から生まれたのではないかと心配されている僕ですら、静かに眺めていられる海だった。そして、何より人が本当によかった。全員が意識的に生活しているのが感じられる。というか、意識的でないと島での生活はできないのだと思う。
しまなみ海道を自転車で爆走している最中に出会ったイノシシを捌いているおじさんは、ポンカンを育て、海に魚を取り、イノシシの罠を仕掛けて生活している。その日はおじさんの元に、朝捕まえたイノシシを譲り受けるべく、友人が愛媛から車で訪ねてきた。僕もイノシシを車に乗せるのを手伝った。信じられないくらい重かった。150kgのイノシシと100kgのイノシシを乗せる経験ができるとは思わなかった。あのおじさん2名は、巨大イノシシを2人で車に乗せるつもりだったのだと思うと凄まじいなと思う。
イノシシの捌き方も教えてもらった。匂いが激しいだろうと思っていたが、そんなことはなかった。新鮮なうちに捌くと匂いはしないらしい。
グロテスクすぎるので写真を載せるのは自粛しようと思う。スッと腹を切って内臓をそれぞれ説明してくれた。うわっと思った。今まで自分がいかにそういったものから目を背けて食事をしていたかを思い知らされた。あんなものを生で見たら、この肉美味しくないだなんて口が裂けても言えない。この人たちは表面上ではなく、心から食材に感謝をしている。自らの手で仕留めたり、育てたりする中で、自然の凄さや有り難みを感じている。
一方、僕はスーパーに並んである肉を見て、「たっか。無理。」などと言って買うのを諦めている。その時、鳥や豚、牛の姿なんて想像すらしていない。
なるほど、これも意識か。そう言う意味で、田舎での暮らしは意識が張り巡らされているなと思った。
都市では無意識で生活できる。無意識に電車に乗って、無意識にコンビニで食べ物を買って、無意識に風呂に入り、無意識に調整された温度の部屋で休む。そこに有難みを感じることができていない自分に気づいた。ただ、意識は自分で変えられる。今日から意識的に電車に乗り、意識的に食べ物を買い、意識的に部屋で休んでみよう。意識を張り巡らせることで、ただの生活がエンタメに変わる。その方が生活も楽しいだろうな。

というわけで、今まで無意識にしていた生活を、noteに書くという行為を通じて意識的にしようと思う。22歳男性の一人暮らしを覗き見するつもりで、ぜひ暖かく見守って欲しい。
やば。久しぶりに書くとこんなにもまとまらないのか。次回はもっとまとまるといいな。

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