なぜマスメディアは衰退したか
なぜマスメディアは衰退したか。
このことに関してはぼくは明確な仮説を持っていて、それは資源の使い捨て文化だったからというものです。
新聞、テレビ、雑誌は、ぱっとその時の時流に乗ったソースを使って、ニュースを流す。
ところが、そのいちいちを深めることは基本的にないので、全部消費されて忘れられてしまう運命にあります。
たいていは一晩寝て翌日になれば綺麗さっぱり忘れて、昨日なにがあったっけ?というようなことになっています。
ところが、時々、そのニュースに余韻とか残り香があるものがあって、これがその人にとって何かあるものなのです。
なんだかよく分からないけど、なにかある。
もっと深めたい。
追求したい。
これは人間の深いところから出てくる欲求とか業だと思います。
友達とかの人間関係とかでもそうですよね。
ところが、マスメディアはそういうのはお構いなしに、次々新しいものを提示してくる。
で、ぼくなんかは、そういうものに飽き飽きしていて、もうどうでもいいと思ってるところがある。
難しいのは、マスメディアは商売だから、次々新しい商品を提示しなくちゃならないところで、そこでカタログみたいになっちゃうんだろうと思いますが、まあ、カタログばっかり見てても、退屈しますし、はっきり言って虚しいです。
あと原理的に、マス、大衆の深い欲求となると、追っかけるのが難しいのかなと思います。
人それぞれ違うので、なにに心を残したかは違うからです。
でも、本当は、人というのは、自分自身のテーマをもっと深く知りたいのだと思います。
そうすると、基本的には、カタログを見たあとはそれぞれご自分で専門書を読むなりなんなりして勉強なさってくださいということになる訳で、そこのフォローまではマスメディアに期待できないのかなと思います。
そういうのを歴史というのですが、それがないから、マスメディアは虚ろなのです。
そういう訳で、大衆の深い欲求から発しないため、マスメディアは衰退したんだろうと思います。
もちろん新陳代謝と新しいニュースは必要なんですけども。