
対練を“演舞”にしないために
「対練」をきちんと稽古するためにはどうすればよいか。
対練はほとんどの場合、「2人でやる演舞」になってしまう。
そうならないためには段階が必要だ。
まず型を覚える。
これは仕方ない。
型をきちんと覚えるまでは、2人の共同作業にならざるを得ない。
お互いに型を覚えたら、次に「共同作業」をやめる。
それぞれが自分の型を「一人型」として、きちんと形に入って行い、相手に付き合うのをやめる。
そうすると、「共同作業」をやってたところが途端に通用しなくなり、いちいち引っかかるようになる。
これで正しいのだ。
相手が付き合ってくれなければかからないのであれば、それは自分のほうに甘さがある証明だ。
そこで自分の甘いところを見直し、相手が付き合ってくれなくても先に進むようになれば、対練が「稽古」として機能していることになる。
しかし、ほとんどの対練稽古は「引っかかって止まる」ことを良しとしない。
引っかかってしまうと、相手に対して「なんでちゃんとやらないんだよ」みたいな感想を持ってしまう。
ここで指導者がきちんと指導しなければ、もう“演舞”しかできなくなる。
型通りやっていてかからないのであれば、悪いのは相手ではない。
自分なのだ。
ここをしっかり指導するかしないかで、使える武術になるか“演舞”になってしまうかが分かれてくる。