葬式仏教を肯定する神道的アプローチ
「釈迦の教えと日本仏教との相違点の考察 〜神道の視点により葬式仏教を肯定的に再構築する〜」
我が国では特定の宗教を信奉する意識を持たない国民が多いが、実際の人生においては神道と仏教を中心とした宗教儀礼を行なっている。このことは、寧ろ当事者たる日本人よりも外国からの視点でしばしば指摘されるところであり、また一神教たるキリスト教徒を中心とする西洋諸国からは過去、奇異の目で見られたこともあった。多くの日本人は無宗教を自認しているものの、生誕から間もなく神社への初宮詣に始まりチャペルでの結婚式そして仏前での葬式を違和感なくこなしている。
こうした民族性は宗教面のみならず食文化や工学技術にも表れており、そこに日本人独特の世界観を見出すことができる。
しかしながら、そうした受容形態は時に本来の形を超えるだけではなく大きく変容し或いは痕跡を認めるのが難しい程に日本化されてしまうことがある。宗教面でいえば潜伏キリシタンの教義や日本仏教における世襲・妻帯・葬儀。食文化ではビーフシチューが肉じゃがになり、拉麺はラーメンになった。また工学技術では火縄銃の伝来からまもなく国産化・大量生産また改良化や、嘉永四年の黒船来航から百年を経ずしての世界最大戦艦大和の完成を見るなど、これらを民族の属性として見たときに模倣及び改良の特異性の下に大きな土台を感じずにはいられない。
その土台とは何か、それこそが日本を日本たらしめるものであり一語をもって説明できないが、確かに他の国家や民族と異なる独自性を見出すことができないか。
そうした中、今回その混ざり合って渾然一体となった日本の土台の精神面において大勢力たる神道と仏教を古代に遡って相違点を明確に分けることによって、日本仏教へ流入した日本の思想つまり神道の影響を考察するこで釈迦の教えとの相違を考察したい。
多くの日本人が神社と寺院の判別をつかない事を知り合いの神職や僧侶より伺う機会があった。そしてそれが一千年に亘る神仏混淆によるものであり、明治政府の行政指導による神仏判然令やそれに伴う廃仏毀釈運動によって神社と寺院は明確に分たれたが、その影響は現代でも神社に仏像が安置されたり鳥居が立つ寺院を見つけたりすることとなって残っているという。そして面白いことには、普段の生活の中で神社の氏子や寺院の檀家も当事者たる神職や僧侶もそこに違和感を感じることなく日々を営んでいることである。これが他国であれば支離滅裂な姿に映るだろう。まして洗礼も受けずしてキリスト教の集会所(チャペル)で誓いの言葉を唱えて挙式を敢行する様は、真面目に宗教を信奉するものからすれば寧ろ神への冒涜と受け止められても致し方あるまい。
さてそうした事情のもとに日本仏教があるのだが、ここで釈迦の教えとの相違をもって批判したいのではない。そもそも釈迦入滅後の百年後には弟子らの教義分裂を見、最終的には居合わせた僧侶の意見を全て釈迦の教えとする大団円をみたのであったし、伝教の際にはChinaの思想が多分に影響され朝鮮を経て飛鳥時代に仏教が伝来した頃には少なからず釈迦の教えには本来無かったであろう教義も含まれていた。故に本論ではあくまで日本国内において仏教と認識されながらも実は本来日本独自のものであるエッセンスを見出す事を主眼とする。
そうしたことから今回は釈迦が説いたことよりも、釈迦が説かなかったことをクローズアップしてその相違点を探りたい。
やはり一番に挙げられるのは葬式ではないか。我々日本人は当然に死ぬと寺院で葬儀を営み、極楽浄土や天国また輪廻転生を思う。死ねば仏となるとは、多くの日本人が受容している価値観だが、初期仏教の教典に照らせば釈迦はそのようなことは説いていないと理解できる。ここに念のために擁護するには、釈迦は仏陀と呼称したが固有名詞ではなく普通名詞として用い、その前後にも覚った仏陀を語っていることから後世の僧侶が悟りを得て説いた他力本願を私は敢えて否定しない。
だが注目したいのは、現代社会において空気と同じように当然存在する仏教と葬式は本来一体のものではなく、寧ろ神道の思想が流入したものである。これは実際に仏壇に手を合わせる際に南無阿弥陀仏や般若心経を唱えたとしても、心に思うのは亡き父母やご先祖様であって、遺影を飾る仏間に勿論仏像やお題目は掲げられていても、そこにあるのは日本古来からの祖先崇拝の姿である。
現に釈迦は葬儀については当時大勢を誇るバラモン教に任せて、あくまで覚りを得ること解脱することを指導している。実際に釈迦の入滅後に行われた葬儀には当時のインド慣習たるバラモン教の思想によって在家信者によって営まれた。釈迦は日常の中で教えを信奉する在家を、不可分な存在ながらも修行僧グループの僧伽とは区別してみており、いわばパトロン或いはサポーターとしてみなしていたようであるから、僧侶が葬儀に携わる事を寧ろ否定していたと受け取ることが自然である。解釈は様々であり現に長い歴史と伝統を持って仏教が葬式を担っているのであるからそこを否定するのではなく、ここに日本の神道的な祖先崇拝を見出すのである。
このような影響に鑑みれば、本来出家したはずの僧侶が世襲しそのために妻帯することを批判するよりも、ここに日本人ならではの氏神信仰そして先祖を供養するという祭祀の姿がいつの間にか神道から日本の仏教へと移入したことへの興味深い事実を受け止め、改めて敬神崇仏の日本人としての私を認識するものである。
このように考察してみると、一見すれば無節操に思える日本人の宗教感が寧ろ一貫した民族の思想信仰の上に成り立ち、どのような宗教が入ってきても渾然一体となった日本教を形成してしまう事実をただただ興味深く思えるのである。
参考文献『原典で読む原始仏教の世界』