カウンセリングから学んだ 救済された私が職業選択にカウンセリングを入れなかった経緯
【糸永さんが苦しい 耐えきれない体験や気持ちは無理して隠さないでいただけたら嬉しいです。】
糸永→言葉に至るまで 時間や迷惑かけちゃいますよ。もしかしたら 言葉にできるまで、 1時間のカウンセリング時間 無言になるかもしれませんよ
【ここは守秘義務があります。たとえ糸永さんが無言でも ここに足を運びした行動が大事ですから。焦らず カウンセリングしませんか?】
嬉しかった 通院からカウンセリングも別枠でつけて間もない主治医とは違う 臨床心理士先生の言葉
今も通院する 至るまでの病と判断
度重なる理不尽な悪意→私の本音をかくす事で自衛拗らせしていた学生時代→学生時代からの心の師匠とのご縁→自分の本音があったことを掴みかけた時期に心の師匠の旅立ち
人間も楽器と一緒だなと今も体感します。
楽器は 低い音階から高い音階を出すより
高い音階から低い音階をだすのがむつかしい
自分の本音を掴みかけた高みから
心の師匠の旅立ちは 私には足場を崩された感覚でした。
また自分の本音を掴む 掴みたい希望自体が
足場崩れたら… 心のキャパが崩壊して来ましたが まだ大丈夫と自分だまして無理した結果
実家に戻らざるを得ない 治療する病診断
すごく うまい言葉がでないが
虚無感も増しました。
【周りから糸永さんの体験や心の苦しみが
弱さや自己責任という言葉で片付けして、治療も含めて無駄なあがきや 糸永さんの心の苦しみを我慢 閉じ込めに働きかけさせているも 考えに置いていただけませんか?】
【我慢や心の苦しみをとじこまなきゃとか
体験が弱さや当たり前と片付けできるなら どうして糸永さんに我慢させるんでしょうか?
ここは守秘義務 時間内なら無言もふくめて
自由ですよ。糸永さんの本音 共有できるなら
活用していただけたら嬉しいです】
私の本音を受け止め 向き合うしていただける
臨床心理士の言葉の数々や時間が
少しづつ 励みになったのを今でも忘れない。
心理…心理学も含めて触れる切欠は
心の師匠が始まりだったな。師匠が学生するから私も学生するかと 違う県外だが県外の学生時代
学生時代初期の時に 心理学の権威ある教授だから ものは試しとお邪魔した。
心理学を学んで 進んでみたが人の心は十人十色
すべての把握はできないと今でも判断しています。
その言葉に 私鳥肌
権威ある教授ですら むつかしい領域なんだ
珍しさでお邪魔した私 場違い
むつかしい領域だから 生半可気持ちの学びスタンスの人は不要と通達くらった感覚でした。
主専攻は心理学は選びませんでしたが
聴講やサブ専攻は心理学の授業可能な限りとりました。
二年の段階で 必要単位以上の取得してましたが
しらないや興味ある分野にふれるのが
楽しかったので 可能な限り学び時間大切にしました。
生半可スタンスの学生不要の心理学
まさか 心の治療を介して私に興味が芽生えるなんてなかなか小説では味わえない 筋書ききかないエクストラステージだなと 人生は。
書籍から始まり 心理学にからむ情報は
よりアンテナはりました。
生半可スタンスやにわかと自負ありましたが
知れば把握するほど 深みにはまりたい
学びたい欲や魅力が増えました。
たまたまフェイスブックで目に止まった
大分から東京まで 学びにいった 講座と学びと
ご縁
職業としてカウンセリングは 私の選択肢から外すに決めました。
講座から 講師の先生や学びを受ける方々
とても熱量を感じました。
東京学び重ねる度にスキルや学び増えるけど 私の生半可さが浮き彫りや 場違い感を味わう
知識やスキル 楽しいが 私は知識やスキルを
知恵として 還元できるか…
心理学から救済でここまで学びにいけたが
学びたいまでにいたるまで 臨床心理士との時間
かなりかかりました。
心理学 やりがいある分野だと新たに学びましたが 生半可スタンスは不要
私には 覚悟ができなかった。固まらなかった
楽しい学びだけでは 職業として選択肢いれたら
心理学にも 相手にも失礼だと。
生半可スタンス 覚悟固まらずでカウンセリングをするのは 中途半端な同情と同じと思います。
仮に私がカウンセリングを生業にし
回復まで向き合う 繋がりもできなかったら…
私自身の体調もふくめて←
回復したい 回復兆し段階ならなおさら
希望を摘み取りして より心を追い込みしないか
私が味わった 希望という高みから 摘み取りした感覚…それを 相手にも与えないか…
↑そう考え時点で 生半可スタンスだと思い知らせました。
生業としては 選択肢いれず手放ししましたが 今でも学びはしています。
学びや学んだことは 私の大事な糧だから。