「ハルビン」キム・フン
いやぁ~、これは正直知らんかった…… 反省、反省……
《裁判過程では、安重根の政治的動機を現実に対する無知さから始まったものと見せつつ、文明的な手続きに沿って死刑に処する形にすることが日本外務省の方針だった。禹徳淳に対しての司法処理もこの方針に従うことになっていた。外務省はこの方針を関東都督府の高等裁判所に電文で指示していた。電文は裁判が始まる前に届いていたが、高等裁判所はそれを地方裁判所に口頭で下達し、電報で受け取った公文書は極秘裏に保管された。
真鍋裁判長は安重根と禹徳淳の間に指揮服従の関係をつくりあげようとしたが、難しかった。溝渕検察官が裁判所に提出した尋問調書にもその関係をはっきりと明示することができなかった。禹徳淳は安重根の提案によって犯行に加担したが、部下と見ることはできず、自分の犯罪動機についても論理的な陳述はしていなかった。》(188頁)
《論告と弁論は、二日かけて長々と続いた。安重根は被告人席に座って黙って聞いていた。検察官は安重根の犯罪が無知と誤解の致すところであり、これが殺意の原因であるとし、弁護人はこの無知と誤解が同情されるべきもので、減刑の事由になるという趣旨で話した。検察官論告と弁護人弁論は、一つにつながり互いに補充しあっていた。》(196頁)
《韓国の近代は文明開化の夢に魅惑されながら帝国主義の暴力に踏みにじられた近代だった。この文明開化はそのまま西欧化され、韓国人が数千年の歴史の中で築き上げてきた文明がこの開化の推進力に合流することはなかった。二十世紀初めの朝鮮半島では、過去は未来を作り出す力を失い、抑圧と収奪をカモフラージュした文明開化が弱肉強食の津波となって押し寄せてきたのだ。
韓国青年安重根は、その時代の大勢をなしていた世界史的規模の暴力と野蛮性に、一人立ち向かった。彼の大義は「東洋平和」であり、彼が手にした物理的力は拳銃一丁だった。それに実弾七発の込められた弾倉一つ、「強制的に貸してもらった(もしくは奪った)」旅費の百ルーブルがすべてだった。その時、彼は三十一歳の青春だった。》(「作家の言葉」)
《言葉を法で罰することはできない。言葉を監獄に閉じ込めることはできない。作者は『ハルビン』の中で、安重根というひとりの人間を、政治やイデオロギーの狭い世界から、言葉の世界に解きはなった。小説という自由な空間の中に、安重根という、様々な意味が周りから賦与され続けてきた存在を、歴史の澱の底に沈みかけていた人間を、見たことのない新しいなにかとして蘇らせた。そこでなら、わたしたちは出会うことができるのだ。あるいは、答えを聞くことができるのだ。ほんとうは何が起こったのかを。わたしたちが、世界の「複雑さ」に怯えることさえなければ。》(高橋源一郎)