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【第9回】成果主義という名の幻(まぼろし)

「成果主義」が表舞台に登場してから、すでにかなりの年月が経過しています。

当時はバブル崩壊で未曾有の不況に突入しており、多くの企業から「画期的な制度」として注目を集めました。

その成果主義なるものを、転職先で初めて経験します。
入社した会社は「成果主義に基づいた評価制度」を構築したばかりで、実際に導入するのは初めてでした。

制度は「個人の成果」と「会社の業績」の掛け算で決まるというありふれた内容でしたが、手順はかなり複雑でした。

実際に人事評価が実施されると、会社の業績が良かったにも関わらず、年俸が前年を下回る社員が続出してしまいます。

最大の理由は、成果に対する評価基準が曖昧で、判断にバラツキが出てしまったことにあります。

更なる誤算は「この状況下で、我々の報酬が下がるのは納得できない!」という幹部クラスの反乱です。

最終的には、社長の英断により「前年並みの年俸が支給された」と記憶しています(これでは本末転倒ですね)。

成果主義の最大の問題は、個人の成果が測りにくいことです。そもそも「成果」の定義自体があいまいです。

個人ノルマを追う営業など、数値化できる仕事であれば比較的やりやすいのかもしれません。

しかし、チームを組んで行う企画や技術・サービスなどは、個人に対する目標の設定が「極めて困難」となります。

一方、露骨な成果主義は「殺伐とした職場環境を醸成」する可能性もあり、かえって業績の悪化を招きかねません。

最近は、企業もこの手の課題を解決すべく「よりバランスの取れた仕組み」の実現に向けて試行錯誤しているようです。

しかし、評価制度がいかに改善されようとも、「評価者が直属の上司」であることに変わりはありません。

上司の評価は、往々にして「相性」に依存しがちです。
気心の知れた部下には、どうしても有利な(甘い)評価を与えてしまいます。

であれば、例えどのような評価を受けようとも、所詮は「好き嫌い」と割り切ったほうが「精神的に楽になる」はずです(納得するまで、少し時間を要するとは思いますが……)。

                     次回につづく

(本文は、弊著『なぜ職場では理不尽なことが起こるのか?』<幻冬舎ルネッサンス新書>より一部抜粋編集し、シリーズ化したものです)

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中山てつや
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