木間生(こもお)城山
仲しい茸園のバーベキュー場のある山には昔山城があったらしい。まもちゃんに昔聞いていて、気になっていました。いつか登ってみてみたいと思っていたが、夏場には蛇もでるらしく、また下草も沢山生えて登るのが難しいという事で、冬になるのを待っていた。
今回、ちょうど時間もできたので、登ってみようと思い
「時間が出来たから、登ってきたいと思います」
マモちゃんに相談してみた。すると
「ちょっと待ってて」
何やら、事務所で探して紙を持って来て来てくれた。
「はい、どうぞ。なんか昔このあたりの川辺氏の歴史を調べてている人がいて、その時にうちの山もしらべてくれたんよ」
と言って、資料を見せてくれた。
資料によると、このあたりを室町時代に治めていた多田家の御家人の川辺氏の居住跡としての、城跡が山の頂上にあるとの事。
「山の上にこの地区を治めていた、川辺氏のお城の跡があるらしいよ。いってみない?」
息子達に相談してみると、彼らも登ってみたかったみたいで、ふたつ返事で登ることに。
「でも、この山はとっても急で、危険だからまっすぐ登らず、山の尾根から登った方が登りやすいよ」
マモちゃんがアドバイスをくれた。という事で、息子達と早速登ることに。途中までは、道があったがそれ以降は道も無くなり、聞いていたようにものすごい急勾配。両手両足を使わないと登れないような山を地図を見ながら、山の南側の尾根を目指して長男がリードして登っていく。山の中腹以上はゴツゴツした岩だらけ。この岩の坂の先に頂上らしき光が見える。
「頂上着いたよ!」
先に登った長男が上から叫んで知らせてくれた。
「でも、もう一つ高い所があるみたい!」
確かに地図でも頂上は二つあるように見える。着いてみると、そこには畳で1十畳ほどの平らな土地があった。
想像していたようなお城の後は全くなかったが、確かに地図と同じ地形だ。
「もう一つのてっぺんにも行ってみよう!」
山の尾根を歩いて、もう一つの頂上へ歩いていった。そこはさらに広い、平らな土地が広がっていた。こちらも、お城の跡らしいものは残っていなかった。
「おじいちゃん(富男さん)が、てっぺんから大阪湾まで見えるって言ってたけど見えるかな」
確かに、遠くに薄く大阪の町並みが見えた。ここなら猪名川の流域を一望できるため、お城として活躍した時期もあったのかもしれない。息子達とそんな話をして、下山した。
下山は登りに比べてはるかに大変だったが、無事に怪我無く下りてくることができた。
下山してきて調べて知った事だが、明治の行政区画が出来た時には、尼崎、伊丹、川西、猪名川一帯が川辺郡だったらしい。その後、町村制ができて、分裂していったわけだが、その地名を残した川辺氏のお城がうちの裏山にあったことを息子達と知ることができ、ちょっと昔へのロマンを感じた出来事になった。
こうして体験すると、日常見慣れている裏山が少し違って感じられる。