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2015年 55冊目『消えた伝説のサル ベンツ』

自動車のベンツでは無く、大分市高崎山のニホンザルのボス「ベンツ」の話です。

日経新聞日曜版の書評を読んで手に取りました。

高崎山には、3つの猿のグループがありました。

ベンツは9歳(人間で言うと30歳前)と言う若さ(通常だと13ー20歳位でボスザルになるそうです)で、そのうちの1つのB群のボスになります。
しかし、わずか3年後にC群のメスザルに恋をし、B群を離脱し、C群の最下位グループとして下積み生活を送ります。

それから1年後に序列6位。更に1年後に5位になり、6年後の20歳で3位。2年後の22歳で2位まで返り咲きます。そのころベンツの人生を追ったTBS動物奇想天外「恋と抗争の10年間」、「愛と友情の鉄拳」が放映され、一躍人気者になります。

結果として高崎山の入場者動員記録を塗り替えます。2年後には3つの群のうちの最大派閥A群と抗争になり、ベンツの活躍により、A群は消滅します。そのように力のあるNo2だったのですが1位のゾロを支え、この1位2位体制を10年間維持し、2011年33歳でC群9代目のボスに就任します。

世界的に見ても2つの群のリーダーになった猿は稀だそうです。

そして2年後の13年9月14日消息不明になります。しかし、4回の捜索隊により17日後高崎山から直線距離で7km離れた大分市内で発見・保護されます。

通常一度群れから離れた猿は序列を維持できないのですが、No2のゾロメがベンツを認め、No1に復活します。このゾロメはベンツがNo2として11年支えたゾロの弟猿でした。兄を支えてくれたので、弟が認めたのでしょうか?

そんなこと分かるのでしょうか?しかし、わずか2カ月後の12月16日再度失踪。複数回の捜索隊の懸命な努力でも今回は発見できず、ルールに従い1ヶ月後の14年1月17日死亡と認定。

35歳(人間で言うと100歳)と言う高齢で波乱万丈の一生を閉じました。その前後にベンツ復帰記念像が建立されたり、ベンツの人生を描いた書籍が発刊されたり、1周忌の偲ぶ会が開催されたりしました。

彼の人生から、ベンツの像は、出世や復活そして長寿の象徴として人気があるようです。凄い猿生(人生)ですね。

ベンツの人生も興味深いのですが、並行して猿についての記述や高崎山の記述があるのですが、それが興味深いデス。

猿たちは発情期になると、多数のパートナーと性交をするそうです。ただ、そんな猿たちでも近親とはしないのです。ですので、ボスざると言うと雌猿からモテモテの気がしますが、同じ群れから上がったボスザルは、相手が娘たちの可能性があるからか、それが分かるからか人気が無いのです。

ベンツもそうでした。ただ、他の群れの雌猿からは人気があり、若い時に他の群であるC群の雌猿に恋をしたのもそのような理由なんだそうです。また、雌猿は若いのより年齢が高い方が人気があるそうです。
確実に妊娠するからだそうです。
興味深いですね。

高崎山では餌付けをしたことで観察が進み、全ての猿に名前がつけられ、家族、と家族の上下関係が把握できています。そこから分かったこととして、家族の上下関係も猿同士の序列に影響を及ぼしていると言う事です。
これも面白いですね。

また、餌を与えることで、栄養を安定的に取得できます。一時期、当初300頭の7倍の2000頭を超えてしまったそうです。その後餌の量をコントロールすることで、1000頭まで減らして行きました。間引きするよりも良いだろうと言う判断だったそうです。

何だか怖い話です。

餌場では、狭い箇所で効率的に餌が取れます。そうすると餌の取り合いになりやすく、明確な序列がつきます。猿はマウンティングすることで序列の確認をしたり、許しを乞うたりするのですが、その場面を良く見られるそうです。

大阪の箕面も猿で有名です。大学キャンパスが近くだったので、ドライブがてらよく行きました。また、行きたくなりました。

▼前回のブックレビューです。

▼PIVOTに出演しました。よかったらご覧ください。


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