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2015年 29冊目『わたしはマララ 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女』

ノーベル平和賞を取ったパキスタン人マララ・ユスフザイさんの受賞後初の本です。

スクールバスで帰宅中にタリバンに銃撃されたマララさん、これくらいの情報しか知りませんでした。

彼女が、小学校高学年読者に向けて、書き下ろした本です。大人でも感動します。お勧めです。

マララさんはパキスタンのミンゴラのスワート渓谷に住んでいた女の子です。(過去形なのは、現在はイギリスのバーミンガムに住んでいて、ノーベル賞を取ったこともあり、タリバンの標的になる可能性が高く、危険なため帰国できないのです)。

お父さんは、学校(クシャル学校と言う名称)を運営していました。

マララさんは、お父さんの学校が大好きで、一生懸命勉強していました。しかし、パキスタンで女の子が勉強するのは当たり前ではありませんでした。

それでもタリバンがやってくるまでは、女の子も学校に通えました。
好きな勉強を友達と一緒にしていました。

ところが、パキスタンにタリバンがやってきて、イスラム原理主義のラジオ・ムッラーが放送され出すと、状況が一変します。

そのラジオでは、タリバンに反対する人は名指しで非難、暗殺を宣言され、イスラム原理主義の考え方に少しでもずれることは否定されます。

女の子が学校に通う事もそのうちの1つでした。
マララさんは、勉強ができ、論文大会で何度も入賞した事もあり、パキスタンで女性が学べる事の重要性について各地で講演していました。

アフリカや周辺国では女の子が学校に通えない国もたくさんあります。
そのような活動をしていて、目だつ彼女はタリバンの標的になります。

進歩的な学校を運営しているお父さんも標的です。
しかし、お父さんは、自分の命より、教育をする事を使命だと感じていて、原理主義者ともタフな交渉を続けながら、何とか学校を運営し続けていました。何度も危険な目に合い続けていました。

周囲の人々が暗殺され続ける中、お母さんもお父さんの信念をサポートし続けていました。

しかし、そのような活動もむなしく、とうとう女の子は、危険過ぎて学校に行けなくなります。

ところが、暫くして、政府軍がタリバンを追い出したため、女の子も学校に行けるようになりました。

そんな矢先に悲劇が起きたのです。

テストが終わった14歳のマララさんの乗ったスクールバスをタリバンが襲撃したのです。

マララさんは頭を撃たれました。友人2人も撃たれました。

その中で、マララさんが一番重症でした。
最初の医者は診断を見誤りました。
銃弾は頭を抜けているので大丈夫だと診断したのです。

しかし、大病院に移送すべきだと話をし、その大病院で、銃弾は頭蓋骨の一部を破壊し、そこに銃弾が残っていて、それが脳を圧迫し、危ないことが判ります。

応急処置をします。
まだ予断を許しません。

しかし、そこに奇跡が起きました。イギリスからパキスタンに1流の医師2名が視察に来ていたのです。

彼らの診断により、一刻を争うこと。
イギリスのバーミンガムの彼らの病院の施設が必要であることが判ります。パキスタン政府がすぐに動き、空軍機により彼女は移送されます。

何度もの手術の結果、彼女は回復し、話もできるようになりました。
一緒に撃たれた友人も一命をとりとめました。

回復後、彼女は国連で感動的なスピーチをします。

その日は、女性の教育の機会を作ると言うマララデーと名付けられます。
彼女の功績が認められ、ノーベル賞を受賞するのです。

彼女は、まだ10代です。
友人や2人の弟とのくだりも書かれているのですが、それは、本当にどこにでもいる普通の女の子です。

ただ、精神性が高いのが判ります。
神様が使命を与えて、生まれてきた感じがします。

とても読みやすい本です。ぜひ、読まれることを勧めます。
お子さんに良いと思います。

▼前回のブックレビューです。

▼PIVOTに出演しました。よかったらご覧ください。

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