自分のことを発信したいのに発信できないあなたへ
どうもこんにちは。中野あすかです。
今日は、「自分のことを発信したいのに、なかなか発信できなかった」という話をしたいと思います。
最近noteを書き始めた私は、「noteを始めよう!」と思ってから最初の記事を書き上げるまでに【13日間】がかかった、腰おもガールでした。
なんなら投稿もされず、ずっと下書きのまま半年以上放置されていた記事が2つありましたし、もっと言えば、鍵なしのTwitterで自分のことを発信しはじめるのに1年かかったくらいの、超腰おもガールです。
▼私が初めてnoteに投稿した記事
今日この記事では、
私自身が発信に対してどんな恐怖を抱いていたか。
どんな長い長い階段をちまちま登ってきて、「発信が少し楽しい」と思えるようになったのか。
そして、一発目の発信をしたとき、どんな景色が見えたのか。
を書いていきたいと思います。
ああ、発信しなきゃ…と思いながらもなかなか踏み出せないあなたが、この記事を読んで少しでも「やってみようかね?」と思ってくれたら、嬉しいなぁと思います。
「自分のことを発信・表現している人」への疎ましさ
書籍、雑誌、テレビ、Twitter、インスタ、note、ブログ、youtubeなど…世の中には色んな場所で自分のことを発信・表現している人がいますよね。
こうやってネットの世界が発展してきたおかげで、そして、世の中のみんなが発信してくれるおかげで、私には自分の大好きなバンドがいるし、大好きなyoutuberがいるし、今とても大事にしている本に出会えたし、ビジネスについて少しずつ興味を持てました。
すごいですよね。インターネットはすごい・・・・
私は、絵・動画・音楽・文章・言葉で自分を表現・発信してる人たちを、ずっと尊敬していました。
いや、❝表現できている人たち❞が羨ましかったんです。
でも、すべてがすべて、尊敬とか羨ましいとかでは片づけられるピュアさはなくてですね。
時に、自分を表現・発信してる人たちに対して「疎ましい」とか「いつも良いことばかり言いやがって」とか、そんなドロドロした気持ちになることが幾度となくありました。
私は、自己啓発的なつぶやきをずっとしている人が、特に苦手で。
いつも目標が高くて、
いつも自分を高められていて、
いつも何かと戦っていて、
いつも「あなたの意見」を、さも世の中の事実かのようにツイートしていて。
(しまいには、「Twitterガチって〇週間で〇千人にフォローされました!」や「こんな私が成功した方法はプロフ/固定ツイ参照。」とか・・・
この類は今でも一番見るのを避けたいつぶやきです。)
そうゆう人をフォローしなければいいじゃん、と思われるかもしれません。
しかし、元々働いていたスタートアップ界隈や、独立・起業界隈、今私が受験予定の資格保持者の界隈は、とってもと~っても語弊を恐れずに言うと、「そうゆう人」が多い界隈でした。
私がフォローしている誰かが、「そうゆう人」へのいいねをすると、自分のタイムラインにそのつぶやきが流れてくるシステム…Twitterを何度恨んだことか。
とにかく、私は、「そうゆう方」にはなりたくなかったし、誰からも胡散臭いと思われたくなかったんです。
「今、私が思っていることや考えていることをTwitterやnoteに書いたらどうなるだろう?」
「第二のひねくれ者が、私の発信を見た時に誕生してしまうんじゃないか?」
なんてことを、ずっとずっと心配していました。
自分がこんなに心のざわざわ・ザラザラを感じてきたのに、私も他人に味あわせるのかもしれないと思うと、心がゾワゾワして。
今こうやってTwitterやnoteを始める前までは、その葛藤と長いことずっと戦ってきました。お恥ずかしいですが。
同僚・上司のつぶやきを見るのがしんどい
話は変わりまして。
1年前に在籍していた会社のことについて、ちょっと話したいと思います。ここではA社とさせてください。
A社は、平均年齢が28,9歳くらいの会社でした。
SNS発信に慣れている世代、いわゆる、ミレニアル世代の立ち上げた会社です。社長や役員も私の5,6歳上で、かなり若い会社です。
今どきィ!な会社で、メンバーは勤務時間中にTwitterの更新は当たり前。
仕事のことやビジネスのこと、プライベートのこと、会社が大好きなこと、それぞれが思い思いに発信していました。
外から見たら、「社員がイケてるスタートアップ」に見られているかもしれませんし、私は中に居てもそう思ってました。
もはや発信力が評価基準にも入りこんでいるほど(在籍当時)、「発信すること」が重要視されてまして。
特に社長の発信力が強く、noteやTwitterなどで自分の想いをガンガン発信していたんです。
社長については、もしかしたら界隈では有名人なのかもしれません。社長や社員の発信力だけでなく、ビジネス的にもかなり勢いがあった会社だと思います。
まぁそんなイケてる若々しい会社で働いていた私ですが、社長や会社のメンバーの発信を見るのが耐えられなくなって、会社を辞めました。
そんなことで会社を辞めるなんて、と思われるかもしれません。
でも、私には当時、キラキラしながら楽しそうに発信している人たちを、楽しそうに眺める余裕は無かったのです。どこかで心が、ざわざわ、ザラザラしていました。
自分が発信するなんて、もっと無理でした。
発信力が評価項目にあったとて、Twitterのアカウントを作ることさえしませんでした。
もちろんA社の人たちが悪いということは全くなく、当時の私にとって、キラキラしすぎて息を自然に吸えることができない組織だっただけ。
結局、「私」に合っていなかったという話。
今は、そんなシンプルなことだったよね、と笑って話せますが、当時は期待をしていた転職だっただけにかなりダメージが大きかったのを覚えています。
万年鍵垢マン
厳密にいうと、私は発信をしたくない訳ではなく、知らない人に、知らないところで自分がどう思われているかが怖いという気持ちの方が強かったんだと思います。
全くSNSをやっていなかったかというと、そうゆう訳ではなく。
高校3年生(2010年)から、プライベートでずっとTwitterは使っていました。インスタも、サービススタート初期から使っています。
全て、鍵垢(プライベートアカウント)で。
そもそも知り合いだとしても見られたくないこともあったし、知らない人からのリプライなんて、怖くてたまりませんでした。
でも、自分の行った旅行先の写真とか自分の食べた美味しいものの情報、ハマってるゲームとかは友達にシェアしたいし、たまには、仕事が楽しかったことも、仕事が辛いことも吐き出したいし。
そんな中庸を取ってくれるのが、鍵垢だったんですよね。
発信したいけど、不特定多数の人に見られたくない。そもそもフォロワーが少ないから、「いいね」の数にも気持ちが左右されない。
そんな、自分の気持ちを安定できる鍵垢の中で、本当に気持ちよくSNSを使っていたのです。約10年。
だからこそ、顔出しして名前出しして、自分の考えをバンバン公開している人たちが、本当に不思議な存在でたまらなかったんですよね。
怖くないの?
スベったらどうするの?
そのつぶやきを、クライアント(お客様)が見たらどう思うかって考えて発信してるの?
直接は言わないですよ。でも、脳内はしっかり、余計なお世話オバサンになってました。
私は、なんでこんなにも、SNSの向こうの相手にひねくれてしまっていたのでしょうかね。
「笑われる」ことが一番怖い
思えばSNSが流行る前から、私は「笑われる」ことを異常に恐れていました。
遡ること高校2年生のとき。
大好きで仕方がなかった当時の彼氏と別れたばかりだった私は、一時期、全く話したことのない男子たちからすれ違いざまにクスクスと笑われるようになりました。
なんで笑われたのか今となってはよく分からないし、今思い出してもとてもムカつくのですが、一つだけ心当たりがあって。
当時私は軽音楽部に所属していて、自分たちのバンドでオリジナルの楽曲を作っていたんです。
私のバンドは、私が作詞作曲をしていました。
バンドの活動自体は本当に楽しかったので黒歴史にしたくはないのですが、当時の語彙力のなさから、まぁちょいとお恥ずかしい恋愛ソング(しかも失恋ソング)をつくってしまった訳ですよ。
うちの高校は軽音部の活動が盛んで、軽音部員の作ったオリジナル楽曲をCDに録音して学祭で生徒に配る、なんてことをしてまして、当時は夢中だったので、沢山の人にCDを配りました。
本当に、音楽に夢中になってたんです。
だけど、あのイケイケなサッカー部の男子たちに、すれ違いさま笑われたときに、すぐに私がつくったその曲のことを思い出しました。
あ、私が作った曲のことで笑ってるんだろうな。
「〇〇の元カノ、あんな曲作ってんのwwあの歌詞はヤバいw」って思われたんだろうな。
と、勝手に思ってしまったんです。
自分の表現物を、
自分を、笑われた気がしました。
今となっては笑いの真意は分からないし、あいつの元カノやっぱブスやな、って思って笑われただけかもしれないです。
うーん、それもムカつくけども。
でも、少なくとも私の脳は「生まれて初めての表現物を笑われた」と捉えてしまった。
そしたら、本当に恥ずかしくてたまらない気持ちになってしまって。
もしかしたら彼氏も恥ずかしい思いをしたかもしれない。そんなことを考えると、学校から消え去りたくなりました。
自分の想いを世に出すって、なんでこんなに怖いんだろうね
それから私は、ずっと、ずっと、自分のことに関する表現や発信が苦手でした。
どうしても誰かに笑われるのが怖くて、自分のことを発信できなかったんです。本当は、曲をつくるくらいに表現が好きだったはずなのに。
本当は自己表現をしたいのに、笑われるのだけは嫌だ。
きっと、大人になってからもそんな気持ちが無意識で継続していたから、積極的に自己表現が出来る個人の人たちの発信活動に対して、知らぬ間に自分を重ねていたのかもしれないんです。
誰かに笑われたら、あの時みたいに傷つくよ、って言いたかったのかも。
そして、そんな風に、自分のことを守らないといけなかったのかもしれません。
それでも、「発信」をしなければならないタイミングが、今年訪れました。
私はこれから、フリーランス・副業者向けの、商品設計のコンサルティング+起業時にまつわる不安の相談をお仕事としようと思っています。
私が支援したい人は、私の今の人間関係の中にはまだ多くはなく、どうしてもオンライン上で「中野あすか」を認知してもらうことが必要でした。
対話で人の支援をする仕事は、SNSやブログ媒体での発信の効果が顕著に出ます。
その人の人となりや、考え方、生き方、人との接し方が、セッションにふんだんに、それはもう、ふんだんに反映されますからね。相性でお仕事をつくるフィールドです。
さぁ、でもね。
そんなこと、十二分に頭で分かってはいるけれど。
できない。書けない。
・・・書けても、公開できない。
(特にnote)
私が発信したい内容は、個人事業主の働き方やビジネス、マーケティングのこと。そして、自分がこれまでの仕事や生活を通じて得たもの・失ったもののこと。
発信内容について、むちゃくちゃ悩みました。
胡散臭いと思われないだろうか。
意識高い「系」として捉えられないだろうか。
笑われないだろうか。と。
「見えない誰か」に笑われるのを想像して、ガタガタと震えていたような気がします。
私って、誰に発信を見てほしいんだっけ?
そんな私ですが、自分の脳内で転換が起きた日がありました。
ある日、前職でかじっていたマーケティングのことを思い出しながら本を読んでいたら、とっても根本的なことを思い出したんです。
それは、
「私って、誰に私の発信を見てほしいんだっけ?」
ということ。
ああ、そっか。
私は別に、親にnoteを見てほしい訳でもないし、
サッカー部の男子たちに見てほしい訳でもないし、
私のことを笑う人たちに見てほしい訳じゃないんだよなぁ。
私は、私や私の発信を通じて、誰かが
少しでも自分のことを許してあげられたり、
認めてあげられたり、
自分に「頑張ったね」って言ってあげられたり、
働くってことをちょっとだけでも好きになったり、
自分の商品やサービスを胸を張って売れることができるようになる糸口にしてほしいんじゃん。
それだけじゃん。と。
私は、こんなに長いnoteなのにここまで読んでくれているあなた1人のために、記事を書いているんですよ。てへへ。
だからなんだか、「あなた」のために書く記事なら、書けそうな気がすると思ったんです。
そこからは、ある1人に手紙を宛てるような気持ちでnoteを書き始めました。
今日のこの記事にも、これから書く記事にも、それぞれの宛先があります。
今日は、あなたに書いています。すれ違い様に私を笑ったサッカー部のヤツらには、一文字も書いていないのです。
階段を、一段ずつ登ってみないかい?
SNS、note、メルマガ、LINE公式アカウント、音声配信、動画配信などなど…
この世の中には、個人レベルで使いこなせるような手軽な発信のツールが沢山あります。
昔はとてもできなかったけど、今はスマホ一本でなんでも出来てしまいまう世の中です。
それでも、いきなりなんでもやろうとすると、完璧主義な私たちはきっとガソリン切れを起こしちゃいます。
ほいじゃまずは、一番手前にある、足を一歩踏み出せば登れる段から足をかけてみないかい?とお誘いしたいんですね。
例えば、まずは一歩目を踏み出したいならTwitterやインスタ、Facebookから。
次に、伝えたいことと「宛て名」が決まってきたら、noteやブログ(もしくは書くのはしんどいけど話すのは行けそうと思ったら音声配信)とか。
「自分に興味がある人にコミットして発信したい」と思ったらメルマガやLINE公式アカウント、ホームページとか。
そして、表情や身振り手振りを踏まえたり、スライドや動画・絵を沢山使って発信したければyoutubeとかとかとか。
これは一例に過ぎないのですけどね。
私も、Twitter→note→stand.fmという順番で、少しずつ階段を上がっています。
それでもまだまだ、緊張しながら書いたり話したりしてます。
精神的な意味では「note初投稿」という階段を一番登るのに苦労しました。
Twitterも始めるまで相当辛かったけど、生みの苦という意味ではnoteが一番大変だったかもしれません。
それでも、この記事をここまで読んでくれたあなたは、たった一人の宛て名を作るという、「階段の登り方」を知ったのです。足を上げ始めたのです。
だからね、一緒に歩んでくれたら嬉しいなって思います。
一個書き上げれば、一段分景色が変わる
一段登ってみると、見える景色がちょっとだけ変わります。
ほんのちょっとだけ、ほんのちょっとだけど、発信がなんだか楽しくなってきました。
拙い自分の文章でも、一生懸命書いた記事に少しずつ反応をもらえるのはやっぱり嬉しいです。
なんなら宛て名と想定した人から直接感想が欲しくて、noteのURLを送り付けたこともありました。
ちなみに、私は誰かから「あなたを宛て名にしてnote書きました」なんて言われたらとっても嬉しいし、絶対最後まで読みたいなと思います。
どんなこと考えながら書いたんだろう?とか、この人からはどんな風景が見えてるんだろう、とか想いを馳せながら、きっとニヤニヤと読んでしまうなぁって。キモいなんて言わないで!笑
だからもし宛先にしたい人が現実世界にいなくても、「このnoteは、こんなあなたに読んでほしい」と一文添えてみてください。
どこかにいる「こんなあなた」が、きっとあなたの記事を読んでくれるからね。
最後まで読んでしまうnoteは、テクニックなんか知らなくても書けます。
発信を始めたての私たちにとって、小手先のテクニックは、もっともっと後でいいのです。きっと。
一緒に階段をゆっくり登ってこうね。おしまい。
中野あすか @nakano_asuka12
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