わたしがデジタルゲームを避けてきたわけ
「そういえばデジタルゲームをやらなくなって10年ぐらい経つんだな。」
先ほどふっと気づいた。
今の世の中、電車に乗れば一人や二人はスマホを使ってゲームをプレイしている方をよく見かける。
友人知人に休みに家でなにをしているか尋ねれば「テレビゲームを6時間くらいプレイしている」と答える方もいる。
今の時代、娯楽や趣味の一環あるいは仕事としてデジタルゲームをしている方はとても多いと感じる。
特にわたしの世代20代〜30代の若者は生まれた時からゲームに囲まれて育ったといっても過言ではないだろう。
確かにわたしも子供の頃、兄や友人に勧められ「モンスターハンター」とか「ドラゴンクエスト」にハマった時期もあった。
しかし、今ではめっきりデジタルゲームをやらなくなった。
今日はその理由を紹介しようと思う。
わたしがデジタルゲームをやらなくなった理由はいくつかある。
まず、精神疾患になってしまったことが挙げられる。
精神疾患になると精神的な負荷に弱くなる。
ゲームをやらなくなった15歳の頃のわたしは精神疾患暗黒期だった。
もうゲームをやれるだけの体力や環境が整っていなかった。
デジタルゲームは結構な集中力を要するものだと思う。
一つのゴールに向かって同時にいろいろなことを考えなければならないのが基本的なゲームの特徴だ。
いわゆるマルチタスクが求められる。
でも、当時のわたしは精神的に参ってしまってマルチタスクなんてできなかった。
結果としてゲームをしてもうまく操作できず、イライラしてしまいゲームに楽しみを抱けなかった。
それが一つの理由だ。
また、わたしは昔から刺激に弱かったことも要因の一つだろう。
どうも昔からHSPの気質のあるわたしにはデジタル画面で派手な映像をずっと見ているのが苦痛だった。
目が痛くなるし、頭の中でデジタル画面の派手な映像が何回もフラッシュバックしてしまってすごく疲れた。
刺激が強すぎてわたしには合わなかったのだ。
最後の理由、これが結構重要なことなのだが「神様に誓いを立てた」ことがわたしがゲームをしなくなった大きな要因だ。
当時のわたしは凄まじい劣等感を感じていた。精神疾患になったことで「自分は全人類で最も劣った存在ではないか??」と感じていたのだ。
まあ、本当はそんなことないんだろうけど、当時の世間知らずで思い上がった自分はそんな妄想を抱いていた。
だから、実家の氏神様の祠の前で「他の人はゲームで遊んでいるけど自分はゲームを一切せず勉学に勤しむから、わたしを最も優れた人間にしてくれ!」と祈願したのだ。
今思うとなんとも中二病くさい真似をした。
要は自分のコンプレックスを解消したいがためにゲームを生贄に捧げたのだ。
それ以来デジタルゲームには近づかないようになった。
いまだにスマホゲームをインストールしたことがないちょっと珍しい20代の男であり続けている。
まあ、自分としてはデジタルゲームにかまけることがなかったのは今思えばよかったと思う。
ゲーム以外の娯楽や楽しみに出会えたし、健康も保てた。
まあ、優れた人間になれたとは思わないけど劣等感も払拭できた。
なんというか人と違うことをしてきたからこそ、面白い人間になれた気もする。
まわりはゲームを楽しんでいるが自分は他のことを楽しむ。
そういう生き方ができたのはちょっと嬉しい。同じ人間ばかりではつまらない。
いろんな生き方をした人が作る社会の方がきっと面白いんだろう。
ゲームをする人を批判するわけではないが、自分はゲームをしない人生を歩んでこれたのは誇りに思う。
みんな違ってみんないい。
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