『ひとりずもう』とさくらももこ展②
さくらももこ展への熱が冷めやらないので、
さくらももこ展で購入した『ひとりずもう』についても記録しておく。
さくらももこ展のグッズ販売では、
『ちびまる子ちゃん』の漫画のワンシーンをモチーフにしたTシャツやトートバッグ、
文房具やコジコジグッズの他に、
さくらももこさんの著書も置いてあった。
その中で私は、『ひとりずもう』を手に取った。
「ちびまる子ちゃん」の後の、さくらももこさんが送る中学や女子校生活のエッセイ漫画。
中学生になって男子とうまく話せなかったり、
それが理由で高校は女子校を選んだり、
クラス全体がのんびりしているせいで担任の先生を怒らせたり、
「彼氏」という存在に憧れたり、
いわゆる少女漫画の代名詞である
キラキラしたヒロインや、「おもしれー女」とつぶやくヒーローは出てこないけれど、
少女漫画よりもずっと私たちに身近で、親近感を覚える『ひとりずもう』。
私も中学生の頃は、寝るかおしゃべりするか部活に行くかのどれかをローテーションで行い、
高校生になっても部活三昧で髪も短く、
少女漫画や華のセブンティーンとはかけ離れた生活を送っていた。
しかし、キラキラした学生生活ではなくても、
人並みに人間関係に悩み、
恋愛について考え、
進路を迷ったりしていた。
まるちゃんから、「さくらももこ」になる過程。
ずっと仲良しのたまちゃんとの思い出や、
漫画家になるまでの決心や奮闘は、
何度も、何度も読み返したい。
『ひとりずもう』の中で
さくらももこさんは漫画を描き続けたり、散歩やお昼寝をしたり、自分のお金で絵本を買ったりして、
よくお母さんに「またももこは」と叱られている。
が、さくらももこさんはずっと「なんでだろう」「何も悪いことしていないのにな」「これが好きなのにな」と思いながら過ごしている。
私はさくらももこさんとお母さんのやりとりを読んでいて、『大豆田とわ子と三人の元夫』の三人目の元夫、中村慎森を思い浮かべた。
慎森は、職場の人が買ってきた旅行のお土産に対して、「お土産っている?」と言い放ち、
さらに「温泉に行く理由がわかりません」と続ける。
きっと慎森と、さくらももこさんの「無駄」の概念は違うのだ。
慎森は目に見える利益が得られないものや、直接的な結果に繋がらないものは、「いらないもの」「無駄」と見なす。
さくらももこさんのボツになったネームや、目的のない散歩、絵が好きだなと眺める絵本は、慎森にとっての「無駄」に値するだろう。
でも、さくらももこさんはちっとも「無駄」と思っていない。
自分がやりたいことに対してまっすぐ向き合い、好きなことに時間とお金を費やし、自分らしく過ごすことは、慎森にとっての「無駄」であり、さくらももこさんにとっての「大切」なのだ。
「無駄」を削ぎ落とせば、
最短ルートで進んでいけたり、直結した答えに辿り着けたりするかもしれない。
でも私は、簡素な答えや必要なポイントのみが書かれたビジネス書ではなく、小説やエッセイが好きだ。
「無駄」は生活を楽しくする。
「無駄」は自己を表現する。
「無駄」は、素敵だ。
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