世界一頼りない代表 町山辰也
「たっちゃん」こと町山辰也と出会ったのは、去年の9月、友人、高橋歩の出版記念トークライブ。
たっちゃんの第一印象は、「デカい!」
彼は身長190cmある。その人がじっとこっちを見つめて笑顔で近づいて来た。
「中村隊長、初めてご挨拶させていたただきます!」
名刺交換すると見覚えのある字が・・・コラボトークライブをしたコドナの落書きたっくん(北川貴康)の字だ!
しかも、以前voicyラジオ収録した「かで(加藤大地)」と一緒にNPO法人earth treeの理事もやっていて、かでと横浜元町のカフェでvoicyラジオを収録した後、たっちゃんはその日、桜木町でカデと会っていたのだ。
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たっちゃんは、子どもも大人も思いっきり遊び、共に成長していける共育(教育)を目指す、地球をまるごと遊ぶ団体COLOR-P代表(通称カラップ)。プレイアースクラブ(PEC)の部活から生まれたらしい。9年前から普段、体験できないようなイベントや旅を企画している。
その他、前述したカンボジアのNPO法人earth tree理事、そして、子どもたちがつくる学校(東松山市)アメージングカレッジの開校を目指している。
彼は、一緒にみんなと遊ぶのも好きだが、大人も子供も楽しめる遊び場を創ることが、もっと好きなんだと思う。そんなたっちゃんの連続放送1,089回目から1回10分、全7回のvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい。
たっちゃんは、埼玉県所沢市出身の現在46歳。19歳から付き合い始めた彼女と27歳で結婚、息子さんは小4になる。今、190cmの長身からは想像できないが、小学2年生まではメッチャ太っていたという。ドッジボールをやると、「すぐ当たるから入って来るな!」と友達から言われた。幼少期、父親が虐待された環境で育ったことでおばあちゃんに預けられた。おばあちゃんは、あちこちの家で無料で家政婦をやるような人だった。おかげで、たっちゃんは、いろいろな家にお兄ちゃん、お姉ちゃんがいるような温かい環境で育った。
運動ができないこともあって学校が好きになれなかった。ところが当時サッカー漫画『キャプテン翼』が流行っていて、小学3年生からサッカーを始めると見る見る変わった。一つの事ができると、自信がついて何でもできるようになったのだ。ランドセルをほっぽって夕方までサッカーボール蹴って、実家がラーメン屋さんだったので、宿題をカウンターでやり、おやつは餃子、常に大人と触れる生活だった。人とすぐに仲良くなるのが得意だったが、「大人から気に入られるように良い子でいよう」と自分を偽っていた感覚も持っていた。
中学生になると、身長は160cm近くになって後ろのほうに並んで、サッカー、テニス、バレー、バスケ、何でもできるスポーツ万能で目立つ子になった。中学を卒業する頃には身長は180cm近くになって、よく他校の生徒から絡まれた。身長がデカいのに、「おまえ、態度デカいんだよ!」。
親から「勉強するように」と学習塾に通わされるも、クラス分けテストでカンニングして上位クラスに入って授業についていけない。月謝袋に入っていた現金は、別の事に使っていた。
小学3年生から始めたサッカーは強いチームだったが、中学からは断トツ弱いチーム。「何で、こんなこともできないんだよ」とチームメートに当たり散らすとレギュラーを外されてしまった。弱小チームに所属したことで一時サッカーが嫌いになったが諦められない。「もう1回、高校でサッカーやりたい」と奮起した。飛び込みで強豪校のテストを受けると160人中、4人に選抜された。なぜ、選ばれたのか?みんなが緊張してテストを受ける中、リラックスできたことと、足が速くて身長も高く体格に恵まれていたからだ。
サッカーの強い西武台高校に入学すると、練習量が半端ない。「続けるか辞めるか」を毎日のように自問自答する日々。1年の時180人いたサッカー部員は、夏の合宿で7、80人辞めてしまうキツイ練習が続いた。階段を登れないほどの筋肉痛。この頃、どこの運動部も「バテるから水を飲むな!」が常識だった。雨が降ると倒れたふりして水たまりの水を飲んだり、石を舐めて唾液を出すほど過酷なものだった。練習が終われば先輩にマッサージをして上下関係を徹底的に教え込まれた。その苦しい練習を耐え、全国大会に出場が決まった時、嬉しくて泣いた。共通の目的を持って、みんなで支え合い成し遂げた感動を味わった。また、3年生最後の試合に2年の時に出させてもらったのに負けて悔し涙を流したり、逆に後輩が試合に出て負けると謝りに来ることも経験した。今も当時の部員が集まると同じ話になるほど、その時持てる能力の全てをかけて限界突破までやり抜いた、人生で最もインパクトのある熱い3年間を過ごした。また、人生で一番モテた時期でもあった。「今の僕の原点は高校時代に全てある!」と言い切った、たっちゃん。仲間との合言葉は、「あの3年間を超す人生、やりたいよね」。
推薦で行ける大学もあったが、社会人リーグのある東京電力に就職した。一流企業入社に親も喜ぶがサラリーマンに馴染めず1年半で会社を辞めた。カナダ人留学生と仲良くなって辞表を出してカナダへ飛び立った。留学目的ではなく観光ビザで3ヵ月、語学を勉強しながら、サッカーチームにも入った。チームを構成するメンバーはカナダ在住のイタリア人。英語もイタリア語もわからないまま帰国した。
でも、カナダ人のホストファミリーから贈られた素敵な言葉があった。
「家族って何のためにあるか知ってる?チャレンジした時、応援し助けてくれるのが家族。あなたはカナダと日本、2つの家族ができたから、2倍チャレンジできるね!」。この時、家族の在り方を考えたことが、今のたっちゃんの活動に繋がっていると思う。
帰国したある日、児童虐待防止運動のシンボル、オレンジリボン運動のドキュメンタリー番組を観て、心動かされた彼は「何かオレにやれることはありませんか?」と団体に電話をかけた。すると、「多様性が尊重される社会の実現」を目指し活動する団体、「NPO法人 ひなたぼっこ」が紹介された。虐待を受けて育った父との関係から興味があって関わったが、助けたい子ほど助けられない現実を知った。そんな時、父親が自ら命を絶ってしまった。人の命を救うのは簡単じゃないと思い知った。
ちょうどその頃、高橋歩らと出会い、未来を明るく描けている人の共通点を見つけた。それが「私はこの人のために生きている!」という信念を持っていること。ならば、「人との出会いの場をつくりたい!」と9年前に一般社団法人COLOR-P(通称カラップ/カラフル・プレイ・キッズ)を立ち上げた。ところが、「何を目指しているの?」、「何をやりたいの?」と周りから理解されずに落ち込んだ。唯一無二の創り出した世界観、空気感を説明しづらかったのだ。5年前、カラップの良さは参加してみないとわからない、定義づけも明文化もできていなかった。「それは、カラップじゃなくても他でもできるんじゃないですか?」と存在意義を問われ、父の死も重なって病院通いするまで凹んだ。
何もかも嫌になってしまった彼に救いの手を伸ばしたのは、14歳、16歳年の離れた2人の弟たちだった。2人にとっては父親のようで超えられない存在のたっちゃん。そんな彼に対して、初めて相談された弟たちは「兄貴、俺、メッチャ嬉しいよ。一生兄貴の力になれないと思ってた」。
それがきっかけになって、「諦めずにやるけど、一人じゃ無理だから助けてよ」ってサラリと言えるようになったのだ。それが、自称、「世界一頼りない代表」の所以である。「俺の本気度って何?」と自問自答すると、「周りから見てダサくても夢を叶える!」。それを仲間に伝えると共感する協力者が次々と現れた。周りに「助けて!」と言うには勇気がいる。でも、自分の殻に閉じこもって内面に深く潜り続けて行くと、問題は解決できない。だから、たっちゃんの行動は「命を守るため、生きる力を育むため」に、みんなの基地づくり、居場所づくりに向かっていった。
旅やキャンプを通して子どもたちに還元する仕組みをつくるカラップの活動に続いて、埼玉県東村山市に設立したアメージングカレッジは、遊びから大人を育てる未来創造学校。財力がなくて子供たちを遊ばせられない親のために子供たちの力でカリキュラムをつくる。また、同じくもう1人、自称、「世界一頼りない代表」のNPO法人earth tree代表理事かでと一緒に、カンボジアに最大級の竹建築でエコビレッジをつくる取り組みもしている。たっちゃん、かでの共通点は、人の見方がフラットで未来に描くビジョンが一緒なこと。お互いの存在がなくてはならない関係なのだ。
あるミュージシャンが言った。「俺の夢にもなったから、たっちゃんの夢は叶うね」。これからは多くの素敵な大人や子供たちを巻き込み、個の力を結集させて大人も子供も全ての居場所づくりが始まる。俺も同じ方向を夢見る一人の理解者として、たっちゃんの活動に関わりたい。