日本人唯一のエクスペディションリーダー 伊知地 亮
TBS TV「マツコの知らない世界」をたまたま妻が最後の20分だけ録画していた。その録画を見ていたら、「南極の現地ガイド、エクスペデションリーダー 伊知地 亮」と字幕が出て、思わず「りょぉーーー!!」とTVに向かって叫んだ。すぐにRyoにFacebookメッセンジャーでvoicyラジオ出演を依頼すると「もちろん!」と快諾してくれた。
あなたの好奇心を刺激する冒険クルーズを探す!
Ryo(伊知地 亮)との出会ったきっかけは、髙橋歩率いるA-worksより2010年に出版された究極の旅ガイド、「地球を遊ぼう!DREAM TRIP GUIDE」。その本の制作のため14年前の2009年、A-worksのよーへい(滝本洋平)と一緒に「地球探検隊」新宿オフィスを訪ねて来たのがRyo。俺は「内モンゴル」の原稿を依頼され構成協力したから、巻末には地球探検隊を1ページ使って紹介し俺やスタッフの名前がズラリと並んだ。また、写真提供には数々の隊員(旅の参加者)の名前が掲載された。歩のつくる本には何冊も紹介されたが、この本から最も多くの隊員が生まれたのだ。
今のRyoは2002年から南極に関わって今年で21年目という。彼は探検クルーズも運行しているフランスのクルーズ会社「PONANT(ポナン)」日本支社長で、北極・南極の極地エリアを担当する案内役チームの日本人唯一のエクスペディションリーダーでもある。リーダーは毎年200問の試験に90%以上の正解率を求められる。そんな難関を突破し続けている。家庭では中2の息子と小6の娘の素敵なパパでもある。42年の人生をほぼ1本の10分で語り切ったRyo。対談では彼のクレバーでスマートな一面が光った。内容が濃いのは、Ryoが倍速で話してるから。彼の目線から見た世界を、見たい、知りたい、広めたい・・・俺の好奇心を刺激した1,132回目から1回10分、全3回のvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい。
Ryo(伊知地 亮)は広島生まれ。父親が海外駐在員だったため、庭にプール付きの典型的なアメリカ生活を幼少期に経験した。5歳から12歳までアメリカ・NY(ニュージャージー州)で過ごし、12歳(小6)から日本(奈良県)に帰国。物心ついた時は英語の生活でNYでは日本語学校に行ってなかったから漢字は読めないし関西弁は話せない。当時のアメリカの数学は日本に比べ3年くらい遅れていた。ガッツリ虐められたが、今ではイジメをしてた人たちとも仲がいいという。そこがRyoらしい。中学は私立の大学付属校で帰国子女枠で入学し中学高校と18歳まで過ごし、付属の大学にも行けたが、大学進学を選ばずに1999年高校を卒業すると世界一周する「ピースボート」に通訳として乗船した。
アメリカと日本で育った彼は、「日本だけでなくアメリカも知っている」というのがアイデンティティだった。ピースボートでアジア、ヨーロッパ、南米など21ヵ国周って意識変容が起こった。「日本もアメリカも知っている」から「日本とアメリカしか知らない」。これが人生のブレイクスルーポイントとなった。今から思えば、そこから「エクスペディションリーダー」への道が拓けたのだと思う。
ピースボートでの主な仕事は、世界一周中、港に着いてからできる、いくつものオプショナルツアーの企画手配業務。船での地球一周はピースボートに勤めた10年間で3周しかしていないが、飛行機では50周以上もしている。
2002年、世界一周中、南米から離脱して南極に添乗したことが運命を変えた。南極にメチャクチャ感動した彼は、2009年から現地の運行会社と契約しガイド業に転職した。通常ガイドは、自分では行き難いところに行ける付加価値として存在するが、南極や北極の極地ガイドでは案内人がいないと旅が成立しない「必須条件」なのだ。それが彼が極地ガイドに惹かれる理由だ。
さらにエクスペディションリーダーになるためには、ゴムボート・ゾディアックボートの運転、猟銃の扱い方など様々な知識とスキルが必要とされる。2009年からスエーデンの会社を皮切りにフリーランスのガイドとして運行会社各社と契約し実力をつけていった。2013年からフランスのクルーズ会社「PONANT(ポナン)」とガイド契約し、2016年からパートタイム契約、2017年からフルタイム契約をした。ルイヴィトンとモエヘネシーの合併によって設立された世界最大の多国籍企業LVMHに次ぐ多国籍企業アルテミスグループにポナンが買収され、オーナー企業の傘下の下、クルーズ船を5隻から13隻まで増やして成長を続けている。兄弟会社には、グッチ、イヴ・サンローラン、クリスティーズ など、そうそうたるブランド企業が並んでいる。
フランスのクルーズ会社ポナンの日本支社長として営業、オペレーション、広報、政府との交渉・・・と業務範囲は多岐にわたる中、ボランティアベースで北極行の船で出会ったC.W.ニコル氏と意気投合し、長野県の荒れた森を再生するC.W.ニコル・アファンの森財団の理事も務めている。南極は11月から2月、北極は5月から9月がシーズンになるが、「年に1回は北極や南極に行けたら」という。
今、最も彼が注視しているのが、2023年の今年からクルーズを通して「海から日本を元気にする!」活動だ。今、大分県、鹿児島県、熊本県で仕込み中らしい。クルーズ船はゾディアックボートを搭載している。このボートで日本の小さな漁村やビーチにも案内できる利点を活かして、空港などからアクセスしにくい地域の魅力を掘り起こし、日本の肉や魚の新鮮な食材を使って、フランス料理で提供する非日常を味わってもらう。日本人の知的探求心をくすぐり、豊かな体験ができることを目標に取り組んでいる。お客様を満足させるだけでなく、その地域の人にも喜んでもらえることを模索中だ。ここにRyoの言葉の奥にある「思いの核心」に触れた気がした。「関わる人の心を満たすものは何か?」それを問い続けているように思った。彼は常に自分の意欲を駆り立て、次々と新たな目標を自分に課しチャレンジして実現している。強くて優しい男、伊知地 亮。探検家精神を持ち続け好奇心や冒険心の塊のような「あり方」に魅了された。
Ryoと14年ぶりに話して3つの中長期の夢というか目標ができた。2015年から言い続けているRyoと従妹甥っ子で隊員のタカシ(中村 貴志)と3人呑みを今年中に実現すること。なぜ、なかなか実現できないのか?Ryoとタカシが忙し過ぎて時間を合わせるのが難しいからだ。今の俺は2人にスケジュールを合わせられるから、2人で日程調整して連絡してほしい。一杯やろうよ。そして、Ryoの企画する日本のエクスペディションクルーズに家族で乗船してみたい。いつの日か家族でRyoがリーダーの南極の旅にも参加したい。世界70カ国旅した俺にとって南極は究極の目的地だ。その参加レポートを「Kindle出版100冊プロジェクト」の一環として出版したいとも思っている。
ZOOM越しだったけど愉しい再会でした。Ryoありがとう。
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