今から未来を変える。と叫んだ日。
僕は地元の小さい会社に勤めるサラリーマンの父と、
パートをしている優しい母のもとに生まれました。
普通のサラリーマン家庭。たぶん父の給与もそんなに多くなかったと思う。
だから母は朝から晩までスーパーで一生懸命に働いて家計を助けていたんだと思う。
地味だけどあたたかい家庭。それが僕の記憶の中にある。
そんな家庭で育った僕は、両親のそんな経済的な苦労を知らず
当たり前のように小遣いをもらい、高校時代はバイトもせずに遊んでばっかりいた。
今振り返ると「ダメダメな」息子だった。
就職して社会人になった時はバブルがはじけて、日本は大不況に陥っていた。
それでも僕は終業時間近くになると時計ばっかり見るような、できの悪い新入社員だった。
成果なんて出るわけない。仕事を真剣にやるという心意気はほとんどなく、
「会社に迷惑かけないように存在しよう」としか思えていなかった。
25歳の時、そんな僕にひとつの転機が訪れた。
あまりにも真剣さがない僕は、春の人事異動で新設部署に異動になったんだけど、
その部署の上司が2歳年下(妹と同い年の23歳)の結果を出して勢いに乗ってる期待のホープ。
歳をとってからの2歳差なんて関係ないとは思うけど、
さすがに25歳と23歳というのは正直言ってショックを受けた。
その時 はじめて「なんでこうなったのか」を考えてみた。
その理由をひとつひとつ考え出すたびに、
そのすべての理由が「自分の仕事ぶり」にあることがわかった。
会社を辞めたいとも思った。逃げ出したい気持ちが頭を相当よぎった。
だけどそう思う度に、実家でパートを頑張ってる母の顔が浮かんだ。
手がボロボロになっても誰よりも朝早く起きて、誰よりも夜遅く寝る母の姿だ。
それを考えれば考えるほど僕は、
年下の上司の下につくことなんて「なんでもない」と考えれるようになった。
年下の上司は松井さん。とても素晴らしい男だった。
私生活のだらしなさはちょっとあるタイプだったけど、仕事はすごかった。
僕と彼の違いを考えてみた。
それはそれはたくさんの違いがあったけど、その中でも圧倒的な違いをひとつ見つけた。
それは、彼の言葉のすべての主語が「お客さん」だったこと。
そして僕の主語は「僕たち」。ここが大きく違った。
だからと言って彼は「お客様は神様です」と考えるタイプではなかった。
お客様を満足させよう!などと通りいっぺんの言葉を並べるタイプではなかった。
「お客様が何をして欲しいか考えよう」
「お客様が何に悩んでいると思うか?」
「お客様は何をしたら嬉しいと感じるのか」
そう、彼の言葉の主語はいつもお客様だった。
その時の僕は、
「僕らは何をすればいいのか」
「僕らはこれができるようになった」
「僕らはこんなに売上をつくった」
当時はこの「差」を今ほど大きいと感じてもいなかったのかもしれない。
だけど、彼との差を明確に感じた僕は、その差を埋めようと考えた。
そして生まれてはじめて「自分の未来」に不安を感じた瞬間でもあった。
「過去は変えられない。今から未来を変えよう。」
生まれて初めてそう思って、
何をしたのかというと、まず自分のセルフイメージを変えたいと思って行動した。
よくある「自分はできる!」みたいに唱える方法じゃなくて、
自分の具体的な行動を変えることから始めた。
夢を描いて、それに辿り着くまでの道筋をブレイクダウンする方法だ。
後から考えると、これは後に僕の仕事の成功に大きく寄与したと思う。
人にはいろんなタイプがいるから、目の前の問題を解決していきながら最終的に誰も辿り着いていない場所に方法がいい人もいる。
僕はそれを野茂タイプと呼んでいる。
元メジャーリーガーの野茂は、いつも自分のいるチームで「エースになって活躍したい」という課題に挑戦して、それをクリアし続けることで気がついたらメジャーリーガーになっていたと、とあるインタビューで答えていた。
つまり、目の前の課題をひとつひとつクリアしていきながら、最終的には誰もいけないところまで突き進めるタイプ。それが野茂だ。
もうひとつのパターンはイチローだ。
小学生の頃からプロ野球で活躍する自分をイメージして厳しい練習に耐え、その結果としてメジャーリーガーとして世界に誇る選手になった。
まさに目標逆算型。なりたい姿を明確にしてブレずに突き進む。
野茂もイチローもきっと子供の頃からのセルフイメージがそう思わせたのだろう。
もしかしたらすでに子供の頃から人とは違ったのかもしれない。
だけど、メジャーリーガーなんて大きな目標じゃなくて、自分らしい自分が目指す姿をまず明確に決めて自分との約束をする。
それが当時の自分にはできていなかったことだし、僕自身の挑戦する課題でもあったと思うのです。
例の松井さん(年下上司)。今は上場企業の役員まで出世していきました。
僕は彼との出会いによって、コンセプチュアルな習慣が生まれて300以上ものプロジェクトを成功させれる起業家になれた。
今思い起こしても、僕にとってはでっかいでっかい出来事だったと、
そんなふうに懐かしく思うのです。