【2】仏教と僕(中村元癸)との出会い
【1】でも述べた通りだが、はじめにお断りしておくと、この記事は 宗教や仏教の解説ではなく、あくまでも僕の自己紹介である。
(仏教に興味がある人で、時間がない人はメニューから「本来の原始仏教の流れ」までとんでみてほしい)
ここではシンプルに原始仏教の流れを書かせていただくが、仏教の説明をする際、事実から逸れてしまうことは絶対にあってはならない。
したがって、
その部分は自分の解釈を挟まずに事実をそのまま記載するように努めている。内容については専門性は省いたため、楽しく見てもらえると思う。
もしあなたが
話の前後関係(全体像)があった方が理解や把握がしやすいタイプの人ならば、コチラ↓から見てもらえたらありがたい。
僕の経歴
もしあなたに時間の余裕があれば、この記事を見てみてほしい。大雑把に僕の経歴を書いてみた。
一応5分〜10分程度で読める記事だが、もし既に見ていたり、時間に余裕がない人はとばして下の方にスクロールしていってほしい。
添付した記事には書いてない事だが、
自分の経歴の中でも龍谷大学 現学長 入澤崇 先生には非常に感謝している。
入澤先生と初めてお会いした時に仏教の八正道について学んだ。この時にそれまでの仏教のイメージが一変した。
正直に言うと、
ぼくは18歳のころまで 仏教というのが何をやっているのかがわからなかった。
入澤先生から八正道を教わったその時に、はじめて仏教の修行が論理的に優れたものであることを知ることができた。
ちなみに、
僕が 入澤先生と出会ったのは 京都の伏見で、たまにJR稲荷から京都駅まで電車をご一緒したり、JRから一緒に歩いて学校に行ったりした。
入澤先生は たまに怖い時もあるが、基本的にフレンドリーに話してくださるので、田舎者の僕にはとても好印象だった。
何よりも仏教に対する印象を変えたキッカケになったし、僧侶や学者さん独特のお堅い雰囲気はなく、柔らかい雰囲気が良かった。
最近はあまり接点はないが、顔を合わせたら挨拶する。僕は 京都を離れて長い間修行生活を送っていたので、京都に久しぶりに帰った時には、いきなり(知らぬ間に)龍谷大学の学長になられており、僕はびっくりした。やはりさすがだとも思った。
入澤先生はYouTubeとかNHKとか、いろんなところに出てらっしゃったから、一般の方々も知ってる人は多いと思うが一応ここにリンクを貼っておく。
先入観
0歳〜18歳までの頃の話に移るが、
僕は、仏教はもちろん世界宗教の中には素晴らしい何かがあるだろうとは考えていた。そこに人間の根源的な"何か"を直感的に見出していたのかもしれない。
ただ、
自分の身の回りの環境では情報が入ってこなかったこともあって詳しく触れる機会はなかった。
だから、
世界宗教と「宗教」について違いもよくわからなかったし、今だから僕の気持ちを正直にいうと、宗教というのは「弱い人がやるもの」「何やってるかわかんない」という印象が強かった。日本仏教に対しても周りを見渡しても単なる仏頼みや葬式仏教が比較的多いと思っていたので 斜めに見ていた。
それに、テレビなどでは宗教や信仰が否定的な演出をされている時代でもある。それらが先入観を作り出していたことは間違いない。
もちろん、
【1】の記事に書いたように、僕の生い立ち上では、宗教には当たり前のように触れていた。
だけれど、理論的に学ぶ機会がそれまでなかった。なので否定的な印象を持ってしまっていたことは仕方がなかったといえる。
もしかすると、
あなたも宗教に対して多少なりとも このようなイメージはないだろうか?
この画像についてはネットでテキトーに探して貼っただけなので、この数字に根拠はない。ただ、確かに宗教に対する一般的な認知とは、このようなものだと思う。
そのような意見に加えて
他人が宗教をやる分には何も言わないが行きすぎると良くないとか、自分には必要ないとか、いろいろな意見があるが、それには確かに納得させる趣きがある。
これ以外にも宗教に対する色々な考え方があるので、
この先入観については、また別の機会に色々と書いてみたい。
本来の原始仏教の流れ
さて、「諸説ある」ことを前提にして、
まずは難解な原始仏教の学説をシンプルかつ簡潔にまとめてみたい。我々日本人が知る「仏教」には本来、北と南に伝わった教えがある。
1.仏陀釈迦牟尼が真理を説かれたのは紀元前である。
大体2500〜2600年前ごろとされている。
2.スリランカに伝えられたのは紀元前3世紀ごろ。
3.チベットに本格的に伝えられたのは8世紀の後半ごろ。
※日本に伝えられたのは6世紀ごろ。それは日本人なら歴史の授業で習うので割愛させていただく。
以下の図は、その流れが見た目にわかりやすいと思う。
とにかく、最低限として
これだけは知っておいてほしい。
●補足
少し補足すると、
北側にはいろいろな教えがある。
南側(特にスリランカには)原則的な教えがある。
このように覚えておくと間違いはない。
1.スリランカ
スリランカでは例えば、パーリ三蔵(南伝大蔵経)やアーガマ(阿含経)などの経典がパーリ語のまま残されている。これらは説明するまでもなく仏陀釈迦牟尼の説かれた修行体系(実践のための方法)が語られている。
聞くところによると、全てがシンハラ語に訳されているわけではない。が、パーリ語でそのまま残されていることを考えるならば、その価値は非常に大きい。
しかも、スリランカの高名な僧侶はもちろんのこと、国民全体に仏教の教えが浸透していたわけで(※現代はもちろん、キリスト教徒などの他宗教の方々もいる)僕の先生や知人や友人たちからいろいろな事を教えていただいたが、とても素晴らしい国民性を感じられる。
2.チベット
チベットには、たくさんの聖者が残した たくさんの教えが残っている。今はチベットよりもインドのダラムサラーにチベットの亡命政府があるわけだが、そこには偉大な修行の達人たちや、偉大な学僧も居る。
特に、ヒマラヤ(ネパールやブータンなども含む)近辺には一般人の想像を超える凄まじい修行をされている修行の達人たちが実在されている。それは遥かな昔から今も変わらず続いている。
他にも、チベットのお坊さんやスリランカのお坊さんたちの中には経典を丸暗記されてる方々がいる。例えば、パーリ三蔵(南伝大蔵経は日本語訳されたもので分厚い本が全65巻ある。それに加えて注釈書が70冊ある。)や、チベットの色々な経典を学ぶ学僧が多い。
つまり膨大な量の教えがあるが、それを丸暗記されているわけだ。それを見聞きすると、やはりすごいなぁといつも思うし、本当に素晴らしい。
僕も負けてはいられない。
我々 日本人が云う "仏教" とは?
仏教を紙面で語るのは非常に難しい。年を重ねて仏教のことを知れば知るほど難しいと感じる。
仏教は文字だけでは決して理解することができない。学問的理解だけでは片手落ちである。それは自分が修行してみてはじめてわかった。
ただ一応、この記事に仏教というキーワードはたくさん出るため、この記事おける仏教の定義は、「仏陀が説かれた、仏陀になるための教え」と定義し、統一したい。この定義から考えると日本は特に仏教音痴であると断言して間違いはない。
僕はほぼ毎日のようにいろんな宗派の人と仏教について話すが、いろんなものと混同され過ぎてしまっていて、ごちゃ混ぜになっている。おそらく日本人の特徴であるシンクレティズムの影響も大きいだろうし、
歴史的な側面から説明すると、江戸時代以降から仏教の様相が変化して、明治初期に神仏分離政策が出され、廃仏毀釈運動から仏教は明らかに形骸化していった。
そもそも日本に入った仏教は御用仏教として迎えられている(御用仏教=時の政府・権力者などに迎合して、それに都合のよい説を唱えること)
現代では僧侶は修行をしなくなったし(事実、そういう人をたくさん知ってる)悪業を積んで戒律を守らない人ばかりである。
1960年ごろから「葬式仏教」などと揶揄されて、古い慣習に縛られた古臭い日本の仏教徒たちもいるし、逆に新しいものを取り入れ過ぎでそれこそごちゃ混ぜの何してるかわからない仏教徒たちもいる。
これは果たして仏教徒と言えるのだろうか。(そうすると、当然若者の興味が削がれてしまうのも無理はないと私は思う。)
時代が近代に近づくに連れて仏教は仏陀に至る方法から、世界の概念(科学なども含む)や思想や現実世界をたやすく理解するための「便利な道具」として使われることになってしまった嘆く知識人もいる。
それに、
(名前は言わないが)実際に仏教を利用して金儲けをしようとする悪者も多い。
仏教音痴
一般的にも、仏教において海外と日本を比較するとそのリテラシーの差は歴然としてる。
例えばヨーロッパでは仏陀釈迦牟尼は「最高の科学者」という趣旨の賛辞があるが、それはけっこう有名な話である。
確かに、仏典は非常に論理的に書かれている(論理的に矛盾がなく、定義に漏れがなく、その定義一つ一つがまるで数学的である)が、しかし、科学と仏教は同じであるという意見について反論されるスリランカの高僧もいらっしゃる。仏教が科学よりも優れているからである。
確かに、科学や数学という学問の領域を超える世界観が仏教経典の随所に見られる。
日本においてはそれを知らない人が多い。何かスピリチュアルなどと混同したり道徳と混同したり、いろんな哲学や科学とかと混合している人が多く、独自見解が飛び出している。
つまり適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現することができておらず、そもそも見ない・聞かない・考えないという三拍子揃っている人も多いと言える。
日本においては「お釈迦さまは聞いたことあるけど、実在したの?神様?仏様?お釈迦さまが何をしたの?」などという風に、常識的な部分を知らない人が多いが、
上述したような歴史的な側面も手伝って、このような風土と化しているとも言える。よって仏教音痴であると言われてしまう。
僕も18歳とか19歳の頃までは同じ状況だったので、この実情はよく理解しているつもりだ。
ニンマ派とカギュ派の先生
18歳の真ん中で入澤先生と出会ってから、そのあとの僕は半年間くらいは色々と模索して奔走していた。19歳になってからやっと本物の修行者と話すことができた。
元ニンマ派とカギュ派の先生をもつ人と偶然(必然?)出会う事ができたため、縁を繋いでいただき、その先生方とコンタクトをとることができた。
修行の達人としての風格はさることながら、その独特の愛嬌などに魅了され、僕は食い入るように日本にはなかった仏教に傾倒することになった。
またいずれ、そのことについても記事にしてみたい。