宇津木健太郎作『猫と罰』を読んで
『猫と罰』って題名がまず、なんかいい。
表紙の絵もすごくいい。イメージが湧いてくる。(はやしなおゆきさんという方だそうです。)
あらすじは、主人公は猫(作中では己)。
漱石にも飼われたことがある前世の記憶を持つ主人公が、ある古書店の店主の女性と関わりながら、話を作っていくというもの。
主人公?の猫の性格が、なんだか私に似ている気がする。
(私の悪い癖で、小説を読む時に、登場人物この場合は猫なのだが、自分と重ねてしまう。今回の場合は猫で、さらに何度も転生をしているという設定なのに、ああ分かるなこの気持ちとなる。
以前、私は、友人から、「人と自分の境界が曖昧だ」という指摘をもらったことがある。私も自分自身のことをそう思う。
だから人に過剰に期待したり、疲れるから人から距離をとったりしてしまう。)
(猫の主人公もそんな性格で、人間を信用していない。猫に懐いてくる人間を馬鹿にしている。)
この本を読むと、小説を書きたくなる。実際には書けないが、創作活動がしたくなる。
私は、夏目漱石の『吾輩は猫である』を、きちんと最後まで読んだことがない。夏目漱石の作品は、最近『こころ』を読んで感動したけれども、『坊ちゃん』を読みはじめて、途中でその暗さになんだか嫌気が差し、やめてしまった。
『猫と罰』を読んで、『吾輩は猫である』を読みたくなった。
他にも有名な作家の名前が小説中に登場してくる。(例えば大佛次郎氏など)(私の不勉強なことに、これらの有名作家の名前を私はあまり知らなかった。)
人には、犬派と猫派があるけど、私は猫派なのかなと思う。
(実際には飼ったことがことがない。犬は飼ったことがある。)
猫って気まぐれなイメージがあるけど、この小説を読んで、人間の方が随分に気まぐれでだろうと思う。主人公猫の感情として、人間の感情を全て猫にぶつけられても困るという感情が小説中にも出てくる。
猫カフェってそう考えると、なんだか猫にとってはかなりのストレスだろう。人間でいうところの、キャバクラとか、一期一会の場を楽しむスペースと見ることもできる。
猫からしたら、野生でやはり生活するのが最も気楽に生活できる生き方なのでしょうか。
主人公の猫のように、人とつかず離れず、適切な距離感で生きていきたいという気持ちになりました。
(最近なんだか、人間関係に疲れている自分がいます。
全体的に孤独が足りていません。
この小説の登場人物、そして登場猫はみんなどこか孤独な雰囲気があって、私は好きです。)