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村田沙耶香作『コンビニ人間』を読んで
村田沙耶香さんの作品を読んだのは1ヶ月半ぶりでした。
実は村田沙耶香さんの作品を読むのを、私自身少し躊躇している部分がありました。
私の中のジェンダーバイアス、男女差別が最近暴走気味であり、最低な発言を大切な友人に向けてしてしまいました。
その後、私はその自分の男女差別発言について反省しましたが、やはりその気持ちを無かったことにはできないとも思いました。
自分は村田沙耶香作品から、何を感じていたのだろうかとも振り返っていました。
(別に村田沙耶香作品がジャンダー論のみを射程圏としているという訳ではないのですが、そういった描写が多い分、痛みを読み取れていない自分が嫌になってきたのです。)
もう一度、村田沙耶香作品を読んでみようと思いました。
私が最初に読んだ村田沙耶香作品は『コンビニ人間』でした。もう5年ぐらい前でしょうか。
今回二回目、通読してみました。
抱いた感想は、主人公がかっこいいという感想です。
私の予想外の感想でした。
主人公の女性は、少しぶっ飛び気味の性格です。
コンビニの人間として生きていくという選択を最終的にするところ、訳の分からない男女差別的な意見を持つ男性と急に同棲するところ、その行動全てがかっこいい。
私にはできない選択です。
『コンビニ人間』の主人公は、一人で生きていくことができる人間。
他人が評価し、自身の体にも他者が必ず侵食してくるという事実を受け止めながらも、最後に覚醒する結末。
私は、どうしてもそこに、「強さ」を見出し、憧れてしまう。
私は現実世界で、友人数名と食事会をしましたが、そこで
「私は最近絶望している。絶望が私のベースラインだ。だから楽しい気持ちになりたくないんだ」という話をしたら、
「えー病んでるよ。」と言われました。
半分ぐらい私が話す前から想定した返答でしたし、そういう反応を私は期待して話しているのだと思います。
でも正直言うと、私の心の半分は、「わかるー」と反応して欲しかったです。
(私が若者として、メランコリックな感情に浸りたい時期、ただそういうふうに”悲しい私”というキャラを演じている、など色々言いようはあると思いますが、でも感情として、私の絶望を求めているという感情を誰かと深掘りしたかったんです。以前カウンセラーにこの感情を話した時、その反応は受け入れるというよりはむしろ解決策を提示するようなものでした。それにも絶望しました。)
話を戻すと、『コンビニ人間』の主人公は絶望していて、でも絶望の中で生きている。それが読んでいて気持ちよかったんです。主人公と絶望しながら、絶望した感情について話あいたかったんです。
『コンビニ人間』を読んでの感想をnoteで拝見させていただくと、普通とは何かを考えさせられたという感想をみます。
私は実はあまりそのような感想を今回は抱きませんでした。(批判している訳ではないです。)
私は、普段から自分が普通ではないと思っています。普通とは何かなんてずっと考えていますし、まず普通になりたくない側ですし、流行しているものは批判したいし、あえてマイナーなものが好きです。
そんなことを言いながら、結局普通を求めてしまう、世間体を気にしてしまうなど、私はウジウジしているので、むしろ『コンビニ人間』の主人公が急に同棲を始めるなどあの終始一貫したスタイルに憧れるんです。
また村田沙耶香作品を少しずつ読んでいきます。