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大江健三郎作『個人的な体験』を読んで

大江健三郎さんの作品が読みたくなって読んでいる。なぜか。

大江健三郎さんの作品には、普段は口に出せないような感情が表現されている。
特にこの『個人的な体験』は私も感じたことのある残酷な感情が書かれている。普段自分が考え込まないでおこうとしている感情を呼び起こしてくれる。

大人な世界が大江健三郎さんの作品には表現されていて、私が大人になるために、覗き見して、大人の栄養を摂取したくなる。

小説を読む時、私は文字を綺麗に追って読んでいくという読み方ではなく、
なんだかサラーと読んでしまうことが多い。
でも大江健三郎さんの作品はじっくり読む。
じっくり読みたくなる。

小説を読みながら、はっきり言ってその小説を書いた人はどんな人なんだろうということをすごく意識する。(そんな読み方はあまり良くないのかもしれない。)

村田沙耶香作品を読む時は、村田沙耶香さんを頭のどこかでイメージしながら読む。村田さんがどういうことを考えているのかを想像してしまう。(小説の楽しみ方がこれで良いのだろうかとは思う。)


大江健三郎作品を読む時は、大江健三郎さんとその家族をイメージしている。愛媛県の山奥から東京大学に行った大江健三郎さん、戦後の激動の時代を生きていた大江健三郎さんをイメージする。
大江さんってどんなことを考えていたのか。

『個人的な体験』で出てくる、主人公の自殺した友人が気になる。心に残っている。奇妙な姿で自殺した主人公の友人の姿が、私の人生に強烈な何か印象を与えている。(あとから思い返すとこの友人が出てきたのは万延元年のフットボールでした。)

自殺した友人の姿が、他人事ではないと思ったし、他人事だと思う人生を歩みたくないと思った。まともに生きていることが、あの死に方を選ぶことに繋がりかねないと思った。

なんだか最近、村田沙耶香作品と大江健三郎作品で精神のバランスをとっている気がする。大江健三郎作品は男臭い。でもかっこいい世界がある。


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