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村田沙耶香作『ギンイロノウタ』

どうして村田沙耶香作品に、こうも取り憑かれてしまっているのか。
村田沙耶香作品への入りは、フェミニズム小説を読みたいというきっかけだったけれども、それだけでは説明できないモチベーションがある。

自分でも自分のこの動機がどういうものなのか、わからない。

日常生活を送る上で、1ヶ月に一回は村田沙耶香作品を摂取しないと、
他人に対して自分の価値観を押し付ける私の暴力的な部分が出てきてしまう気がする。

人が何を考えているのか分からない。知りたいと思う。
何を考えているのか分からない人が、魅力的に見える。
(実際はそういう人といると、疲れる。)

村田沙耶香作品には、宇宙人のような言葉で脳内に直接話しかけられる人が出てくる。なんとなく言いたいことが分かる。
自分の理性では処理できない感情が出てきた時に、それを宇宙人のような言葉によって自分が操られていると考えた方が、自分の脳みそ的に楽になることがあるのだ。

村田沙耶香作品について、友人と話し合っていたときに、私は村田沙耶香作品に共感することができていないと気がついた。
共感しているのではなく、興味を持っている。
他の人から見た、世間って、綺麗事抜きでどう見えているんだか、が気になる。

ハラスメント野郎にも、センチメンタル野郎にもなりたくない。
実は、変なこと考えている、普通の人になりたい。
(村田沙耶香作品にはこんな人がよく出てくる)

『ギンイロノウタ』は、村田沙耶香作品によくある、社会をまっすぐ楽しんでいるわけではない少女が主人公の話だ。
主人公は女性であることの枷から、少しずつ猟奇的な行動を起こすようになる。
主人公と母親の性格が対照的であることが私にとっては心地良い。
母親にはない要素を、子供は吸収しながら大きくなってきたのだと理解した。(私自身もそうだと思うし、ジェーンスーさんラジオで「母親が歩まなかった人生を私は歩んでいる」と言っていた。)

この作品までで、多分、村田沙耶香さんは私が一番よく読んでいる小説家になったと思う。
あまり意識していなかったけど、私は村田沙耶香さんの大ファンと自己認識した。
村田沙耶香さんの作品を年表にまとめて、全部本棚に集めたい。
(私の中で本棚の本は何度も読む本という目的よりもむしろ、ディスプレイやコレクションの目的が強い。)

次は男性の作家の作品についての感想文を書きたい。


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