村弘氏穂の日経下段 #14 (2017.7.1)
兄からの真珠の指輪を質に入れコミックの『ガロ』五年分買ふ
(坂戸 納谷香代子)
読者の想像を軽々と超越する現実の面白さ。たとえば逆に、兄のコレクションの『ガロ』を譲り受けて指輪に替えたのでは意外性が生まれない。換金して贅沢な旅行をしたのではシュールな感覚に乏しい。この五年分の『ガロ』には、短歌にまでサブカル感をもたらしてしまう凄みがある。
友だちがいないと書いた連絡帳よくできましたとはなまるがつく
(坂戸 かしくらゆう)
生徒は、打ち明けた孤独に対しての花丸の賞賛に矛盾めいた感触を覚えたのだろう。先生は、背後に存在する批評性に戦慄を覚えてほしい。連絡帳の行き来はモノの移動ではない。心を通わせることにこそ意味があるのだ。下の句を構成する平仮名のみの羅列は、筆名までも抱き込んでノスタルジックな痛みを呼び起こしている。
雨傘も日傘もいらぬ浴びるのだこの夏の空降るものすべて
(横浜 檜澤さくら)
この梅雨から真夏への期間にかけて、身に降りかかるもの全てを浴びるという宣言をしているのだが、前向きとも自棄ともとれる表明だ。悩み事が解決して開放的になったのかもしれないし、大失恋をしてしまったから、お洒落なトップスもメイクも紫外線によるシミも全てどうでもよくなったのかもしれない。その真意は判らずとも、無敵感が潔くて読み心地のいい作品だ。
それはメンタルなものなのか老いなのか視界の端に見える異人よ
(北海道 梨澤亜弓)
初句の代名詞が指し示す結句の対象の意外性に惹かれた。『それ』が見えてしまうことに至った理由は判らないけど、視界の端のそれのことを人影ではなくて異人だと断定している。老化によって視神経の数が減少することはあるけど、メンタルの部分で言えば、ユニークなセンスには磨きがかかっているようだ。