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村弘氏穂の日経下段 #24 (2017.9.9)

鉄棒で逆上がりをする牛いれば夕焼けはきっと朝まで続く

 (延岡 戸高豊文)

 遅々として逆上がらない牛の絵が焼き付いて脳裏から消えない。「牛」という動物をセレクトした段階でもうこの作品のユーモアは確約されている。もちろん亀でもナマケモノでも構わないが、有り得ない事象を詠んだ歌は、有り得ない度が高ければ高いほど安心して、有り得なさの可笑しみを深く味わうことができるのだ。また、牛歩という言葉もあるように、その動作の遅さを読者が瞬時にイメージできるのもいい。それによって下の句のもうひとつの有り得ない事象、「朝まで続く夕焼け」をクローズアップしてくれている。そして「逆上がり」のセレクトセンスもいい。逆回転で巻き戻すことなんて出来ない時間をせめてゆっくり進ませたいという切実な思いが犇々と伝わってくる。スペインのシュールな漫画のような世界観に溢れる作品だが、有り得ない上の句が仮に実現してしまえば、有り得ない下の句の実現だって有り得るのかもしれない。  



いいちこが写っていないいいちこのポスターに似た場所に踏み込む

 (札幌 石河いおり) 

 「いいちこ」とは大分県の北部の方言で「良い」の強調型である。焼酎の「いいちこ」の広告のポスターや映像は、きっと誰もが一度は目にしたことがあることだろう。居酒屋で、テレビで、駅で、地下鉄で。いまや街じゅうに蔓延って四季を彩っている。そのポスターは浅井慎平氏が、オーストラリアやポルトガルやウクライナやニュージーランドなどの美しい自然のなかで切り撮ったヒトコマだ。そしてそのシーンには必ず、いいちこの瓶が存在する。どんなに小さくてもどこかに置かれているのだ。それが写っていない、いいちこのポスター風の場所とは一体どこなのだろう。美しいスポットであることは間違いない。美しすぎて畏れ多い地なのかもしれない。結句の「踏み込む」という表現が読者にそれを予感させるのだ。予告や許可なしに立ち入る場合や、思い切って入り込む場合にしか使いづらい動詞だ。それをあえて使ったことによって、読者の目を歌の核心に引き込んで、そのスポットの足掛かりをつかませたのだろう。上の句でこんなにも強調された「いいちこ」が、そして焼酎さえも歌の主題には全く関与していないという、下町のナポレオンのようなシュールな感性に強く惹かれた。

 

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