話し合うことができなくなった夫婦は終わりを迎える
最近、子どもが自立したあとに訪れる夫婦の危機的状況から、話し合いの結果もとの仲の良い夫婦に戻れた、というような内容のポストなりnoteなりがよく目に入るようになった。
私が現在そういう状況にあるから目に入りやすくなっているのかもしれないけれど。
「夫婦できちんと話し合う」ということができれば、どんなに危機的な状況であっても、またお互いに協力しあい、穏やかに楽しく過ごせる日々が来るのだろう。
そんなことを繰り返して、夫婦の絆というものは強くなるのだろう。
私もこのままではいけない、と夫と真剣に話し合おうとした。
定年退職後の夫との間がぎくしゃくしはじめた頃。
そして、勇気を出した結果が、「これ以上ストレスを押し付けるな」という逃げの一手だった。
話し合う前の段階で、話し合いの場を設けることを拒否された。
そしてその場から逃げた。(シャワーを浴びにいってしまった)
結果、よくなるどころか悪くなり、ついでに私の夫への愛情もスッと冷めてしまった。
ここから立て直すのはもう無理だろう。
そもそも。
夫のこういう冷たい一面を、私はずっと昔から違和感として感じ取っていた。気づいていたのに「好き」という思いが邪魔をして、気付かないふりをしていた。
私はずっと、夫にとって都合の良い女だった。
私がそれに気づいてしまったから拒否されたのだ。
都合よく扱えなくなった妻には興味などないのだ。
長男と同じ特性を持っているから……と思って目をつぶってきた数々のことは、特性なんかじゃなかった。
だって長男は私のことを気遣う言葉をたくさんかけてくれる。
夫がきょうだい2人と疎遠になっていること。
よく考えてみれば、これもおかしい。どうしてきょうだいの仲がこんなにも悪いのか。
絶縁している夫の妹さんと、まだ新婚の頃少しお話したとき、兄(夫のこと)のことを許していないし、これからも許すことはないという話を聞き、夫はこんなに優しい人なのにと不思議で仕方がなかった。
夫は「妹にあれこれ世話をしてとても優しくしたのに」と言っていた。
話がまったく食い違っていたのだ。
私はその頃の夫を優しい人だと思っていたので、妹さんの言葉に違和感が半端なかった。
きっと何かすれ違いが起きていたのだろうと思った。
今なら妹さんの言葉の意味がわかる。
夫はいつも自分が正しい。
そして人の頬をお金で叩くタイプだ。
それを優しさと勘違いしている。
違和感はずっと昔からたくさんあったのに。
きちんとした話し合いができたことなんてなかったのに。
これまで話し合いだと思ってきたやりとりは、夫の洗脳だった。
気づくのが遅かった。
でも、気づけたのだから、これから私は変わっていけるはずだ。