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とにかく寒い。 しかし、この寒さがいいのかもしれない。 おもむろに、徒然草を再読する。 ときどき、無性に読み返したくなる。かつて小林秀雄が、「徒然草」はモンテーニュの「エセー」のダイジェスト版(ちょっと言い方が違うかも)と評したが、なるほど、似ているところがある。 つまり、「世捨て人」からの視点。 最近、○○したい。何をやろう、これをやろうと思うのだが、一日たつともう面倒くさいと気が変わることが多くなった。 こんなこと、わざわざ言葉にする必要がないのは百も承知だが、何と
どんよりとした曇り だんたん、書評とか追悼の文とか、感銘を受けた物事を紹介する文が書けなくなってきた。 というより、書きたくなくなってきた。 敢えて自分が書かなくても、このNote始め、世の中多くの人が的確で優れた書評を書いていらっしゃる。 自分は本当にただの印象とか、うろ覚えの記憶を辿って書くから、後から読んで違っていると思うことも多くなった。それだったら、アマゾンのレビューでいいのかもしれない。 そうなると、Noteってなんだろうと思ってしまうのだが、ブログって何?
晴れ いい天気 自分が資格を取ろうと思うとき だいたい、小説に行き詰まっているときと、今の仕事を辞めたいなと思ったときである。 自分の能力を試したい、会社を辞めたい、誰かに見下されたとき、人生にリベンジしたい、人が資格を取る理由はそれぞれだが、誰しも長い人生、司法試験とか、会計士とか、一瞬でも高難度の試験を受けようかなという思いが、頭がよぎったことはあると思う。 私の場合、取りたい資格のテキストを本屋に行って買ってくるまではいい(それがわくわくして楽しい)。 合格まで
晴れ 今年の五月は、ちょっと違うぞといった感じのいい天気。 久しぶりに、noteで記事を連続して上げているせいか、何となくテンションがあがってくる。 その昔、まだSNSなんてものがなかった時代。 当時、たまたま講演を聴いた有名な放送作家が、将来、何か自己表現をやりたいと思っている人は、まずは、「何でもいいから発言し続けること」と言っていたのを思い出す。 その人は、中学生の頃から、深夜ラジオのはがき投稿を始め、漫画雑誌の読者コーナー、新聞の意見、そして、公共機関のご意見
そもそも本というものにライバルがあるのかと言われればそのとおりですが、時間を費やすという意味で、ライバルは存在します。例えば、テレビ、映画、ゲーム、SNSなどがそうでしょう。エンターテイメントの全般と言ってもいいのかもしれません。 テレビが普及し始めたとき、本の強敵が現れたと言われました。読書の時間が大幅に奪われると。やがて、本当にテレビのせいで本を読まなくなったとさえ言われました。そして、その次に現れた大きな敵と言えばテレビゲームでしょう。 そして、最近になって現れたの
今日は素晴らしい晴れ。 これに付け加える言葉はなし。 これまでずっと、小説を書いてきたけれど、だんだん自分が本当に小説を書きたいのだろうか思うことが多くなってきた。本当は、小説を通して自分の思想を広めたいだけかもしれないと。 よく考えると、思想家と小説家との敷居は曖昧である。 ルソー、ニーチェなどの哲学者も小説を書いているし、逆にドストエフスキーやカミュなどの小説家の作品は、ある意味哲学書と言ってもいい。 それと同時に、別に画期的な思想を生み出さなくても、私がこう思う。