7月30日(日記)西田幾多郎
暑い日
ふと、西田幾多郎の著作を手にする。
「真実存」とか、「絶対経験」とか書かれてるけれど、それは仏教で言う「悟り」を、西洋哲学の論理で何とか説明しようとする試みである。
だから、「悟り」と言い換えてしまえば、わかりやすい。
ただ、その肝心な「悟り」を言葉で説明しようとしても、できないからこそこういった言葉を使わざるを得ない。文章が難解になる。
わかりずらい。
しかし、お経のようにして、何回も読んでいると何か伝わってくるものがある。
これが、絶対経験なのだろうか。
夏