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ふと思った日記

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ふと思ったことを綴った日記です。ほとんど「むにゃむにゃ」という独り言です。へぼ俳句もついてます。
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2022年7月の記事一覧

7月31日(日記)誕生日

晴れ 誕生日。 当然だけれど、年を取ってくるとあまりうれしくない。 と思ったら、小さい頃からまったくうれしくなかったことに気づく。 ずっと、十歳ぐらいでいたいと思ってた。 あまり占いとか信じていないけれど、同じ日に生まれた人が どういう人生を送っているか気にはなる。 7月31日の有名人は・・・確か。 クラーク博士と、石立鉄男、古谷徹さんと、中山秀征、さん ぐらいしか、ぱっと思い出せない。 つい、どこかに共通点がないか探す。 あるのは、そうだな。笑顔がいいところ(クラー

7月30日(日記)西田幾多郎

暑い日 ふと、西田幾多郎の著作を手にする。 「真実存」とか、「絶対経験」とか書かれてるけれど、それは仏教で言う「悟り」を、西洋哲学の論理で何とか説明しようとする試みである。 だから、「悟り」と言い換えてしまえば、わかりやすい。 ただ、その肝心な「悟り」を言葉で説明しようとしても、できないからこそこういった言葉を使わざるを得ない。文章が難解になる。 わかりずらい。 しかし、お経のようにして、何回も読んでいると何か伝わってくるものがある。 これが、絶対経験なのだろうか。 夏

7月29日(日記) Kindle出版

晴れ 晴れ 晴れ ようやく、Kindle出版完了 実は、昨日にUPしていたけれど、いろいろご指摘があり、 あちこち、直さなくてはならなくなり、 とりあえず二日目にして修正版を作成。 今後、まだ、まだ修正点が出てきそうだが、Kindle出版の良さはすぐに更新ができること。 やはり、独りで一からやるのは大変だ。編集者の苦労がよくわかった。 夏雲が パソコン画面に 映り込む

7月28日(日記)状況が悪いとき

晴れ時々曇 そして雷 雷って、何歳になっても怖い。 落ちて丸焦げになる図が頭に浮かぶ。 現実に、年間何人が落雷で死ぬという。 いかにも落ちてきそうな、広場のど真ん中ではなく、普通に歩いてて落雷したら、それは運命なのか、不運なのか、天罰なのか確かめるすべがない。 天罰だったら怖すぎる。 組織で働いていると、状況が悪いときこそ歯を食いしばって頑張ると、評価が上がる。見ている人は見ている。 より不幸なとき、より困難なときこそ、チャンスと考えることだ。 ただ、頑張りすぎは絶対

7月27日(日記)いけないところ

夜が明ける前からひどい雷 どうせなら稲妻を撮ってやろうと思うが 案外難しい。眠くなって挫折。 過去に執着してしまうこと。 すぐに現実から目を背けるから。 勝手に美化された過去にすがる。 それが、自分の最大の弱さ。 稲妻に 願を掛ける 寝起きかな

7月26日(日記)ミッション

夏らしい夏の日 何となくぼやっと思う。 今回の人生はきっと、この家庭環境、この生まれ、この仕事で、小説家になれというミッションなのだと。 この世に、輪廻転生があったとすれば、自分は何回も生き直して、ひたすら小説家として生きてきたと。 時には、ベストセラー作家だったときもあれば、一生食えないで死んだときもあったと思う。 そのたび、その時代、社会で、「物語を作ること」だったのだ。 今回の生は、他に仕事を持ちながら小説家になれというミッションだったのかもしれない。 そう思っ

7月25日(日記) 空の概念

晴れ すばらしい天気 風が心地良い 空の概念が、西洋哲学を飲みこんだとき、何が発生するのか。 そこから新しい思想、そして新しい物語を作り出せるのは、案外、この国からなのかもしれない。 Kindle出版の準備をしながら、ふと空を見上げながら思う。 空を飛ぶ 己の無は 何処へと

7月24日(日記) 言葉のルール

まるで秋のような夏の日 言語ルール。 それぞれにできあがった言葉のルール。  原始時代の言語ルールは、現代の言語ルールとはまったく違うだろう。 おそらく同じ言語を使っても、コミュニケーションはできない。そこには関係性は成立しない。 逆に、参加者の独自の言語ルールが成立するとき、そこに緊密な関係性ができあがる。 恋人同士、家族、教団、国家。 閉ざされた言葉は、閉ざされた意識を産みがちだ。 ミンミンと わからぬ言葉で 満たす蝉

7月23日(日記)我を忘れる

何となく晴れ 昨日は渋滞の中を3時間も運転した。空いている高速道路を6時間運転するよりよっぽど疲れる。 渋滞は、車だろうと、電車だろうと、百貨店だろうと、すべて好きではない。かなりせっかちなだ。 巷で見かけるビジネス書や自己啓発本では、「気づき」をとても大切にする。だけど、人は本当は何も気づきたくなどないのかもしれない。瞑想、ゲーム、スポーツ、ドラッグ、それらに日々熱中する多くの人達を見ていると思う。 結局、みんな我を忘れていたいのだ。本当は、自分に対しても含めて何も

7月21日(日記) 自分らしさ

雨、雨、雨いつまで続くのだろう。 これだけ続くと、いくら暑くても夏らしい空を求めたくなる。 自分が頭がいいと思う人は、人生無理しがちだ。力みがちだ。逆に頭が悪いと思う人は、人生を恨みがち、妬みがちだ。 だとしたら、自分の頭の善し悪しについては、何も考えないでいること、それが一番幸せなのかもしれない。だけど、これが案外難しい。 小学校、中学校、高校と、まさに自分の頭の良さが、学校や他人からずっと測られ続けるからだ。生きていくと自然に自分の頭の良さのレベルをわからせられる仕

7月20日(日記) 思想家と小説家

今日は素晴らしい晴れ。 これに付け加える言葉はなし。 これまでずっと、小説を書いてきたけれど、だんだん自分が本当に小説を書きたいのだろうか思うことが多くなってきた。本当は、小説を通して自分の思想を広めたいだけかもしれないと。 よく考えると、思想家と小説家との敷居は曖昧である。 ルソー、ニーチェなどの哲学者も小説を書いているし、逆にドストエフスキーやカミュなどの小説家の作品は、ある意味哲学書と言ってもいい。 それと同時に、別に画期的な思想を生み出さなくても、私がこう思う。

7月19日(日記) 占い

曇り。 最近、家にいる時間が長いせいか、お酒の量が増えている気がする。 自分の場合、人生の最重要課題は、真実を見い出すことや、知性の完成なんかよりも、節酒かもしれない。 お酒のない世界、すぐそこに見えているけれど、なかなかたどり着けない。 今日、デパートの占いコーナーに、結構多くの大人が並んでいた。 いい年をして、悩みごと相談とか、占いに頼ることは少々みっともない気がする。何か辛くて大変なのはわかるが、とにかく自分で悩み、考えて決断できるのが大人であり、それが、しっか

7月18日(日記)紙か電子か

すっきりとはほど遠い晴れ 私は生粋のインドア派だが、外が晴れていると、ついふらふらと外に行きたくなる。その延長がきっと、「旅」なのだろう。 とにかく、早く世界を自由に旅できる日が来るのが待ち遠しい。 自分は本来、読書するには紙派だったが、二年前にKindleのwhitepaperを買って以来、すっかり電子書籍派になってしまった。はまった理由の最たるものは、一つの本をずっと読んでいられないことだろう。 テレビに喩えるとわかりやすいかもしれない。一つの番組を見ていると、他は

7月17日(日記)池田晶子さんが「朝まで生テレビ」に出ていたこと。

曇り時々晴れ 全体的にぼやっとした天気   youtubeで、思索上の師と言ってもいい、哲学者の池田晶子さんが出た「朝まで生テレビ」をたまたま見る(かなり昔のもの)。 その日のテーマが「宗教」がテーマだったらしく、圧倒的な論理を持って、あり日しのパネラーたち(その番組には、とあるびっくりする人達が出ていた)を一蹴していた。 番組の中で池田さんは、「そもそも、良心ってなに?」、「神ってなに?」、「信じるってなに?」などと、評論家に問い続け、まさにかつてのアテネの広場で、数い