韻律的世界【4】
【4】序─リズム・ライム・モアレ
なぜ「音の韻」だけでなく「形の韻」を加えるべきか、の説明がまだでした。一言でいえば、「リズム」は「形」に(も)通じる、あるいは「リズム」は「形」を(も)生むからです。
そもそも「リズム」は森羅万象(連なりあった形あるもの)の根源現象であって、それは「音の連続に基く量的関係」(九鬼周造「日本詩の押韻」)と「形の連続に基く量的関係」とからなる。したがって、「音の韻」が「リズム」と緊密な関係を取り結ぶように、「形の韻」(たとえば螺旋や楕円)もまた「リズム」から立ち上がってくる。
私は、おおよそ以上のような考え方に立っているのですが、もちろんこれにはいくつかの“出典”(参考文献)があります。ここでもまた詳しくは述べませんが、その一端を抜き書きしておきます。
《ギリシアの哲人ヘラクレイトスは「万物流転」といった。森羅万象はリズムをもつの謂である。ドイツの生の哲学者ルードヴィヒ・クラーゲスは、このリズムを水波に譬え、その波形のなめらかな〝更新〟のなかに、機械運動の〝反復〟とは一線を画したリズムの本質を見出し、やがてそこから「分節性」と「双極性」の二大性格を導き出すのである。》(三木成夫『胎児の世界』)
──さて、これまでの予備的考察を通じて、韻律をめぐる三つの項を抽出することができました。基盤となる「リズム」、これに根差した「音の韻」すなわち「ライム」と「形の韻」すなわち……と、ここで一種の韻を踏んで──いや、韻(脚韻)を踏むのではなく、律(音数律ならぬ字数律?)を刻んで──、「モアレ」という語を採用したいと思います。
モアレ、すなわち、二つの周期的パターンが重ねられるときに現れる第三のパターン。“出典”は、グレゴリー・ベイトソンの『精神と自然──生きた世界の認識論』(佐藤良明訳)です。
《韻文、舞踏、音楽といったリズミックな現象は非常に古い時代から──おそらく散文以前に──人間と共にあった。というより、たえまなく変奏されゆくリズムの中にあるという点こそ、太古的な行動と知覚の特徴なのである。人間ならずとも数秒の記憶を有する生物であれば、二つの異なった時間上の出来事を重ね合わせて比較することができるはずだ。そのような方法で処理できるものを、韻律や音楽は含んでいるのである。
世界中のどの民族にも見られる芸術的、詩的、音楽的な現象が、何らかの形でモアレと結びついているということはありえないだろうか。もしそうだとしたら、個々の精神は、モアレ現象の考察がその理解の助けとなるような、非常に深いレベルで組織されているということになりそうである。…モアレの〝論理〟を構成する形式数学は、美的現象をマップする土台として適切なトートロジーになりうるのかもしれない。》(岩波文庫『精神と自然』155-156頁)
音の韻(ライム)、形の韻(モアレ)、そしてそれらに通底する律(リズム)。これら三つ組の概念の相関図、もしくは「韻律的世界」を散策するためのマップのようなものを最後に作成して、この序論的考察を閉じたいと思います。
詳しい説明は省きますが、私は、リズムはマテリアルな世界に接し、ライムとモアレはメタフィジカルな世界に繋がっていると考えています。自然(マテリアル・ワールド)と精神(メタフィジカル・ワールド)の間に開かれるのが韻律的世界(メトリカル・ワールド)である、と言ってもいいでしょう。
さらに。空海の『声字実相義』の「声」が「ライム」に、「字」が「モアレ」にかかわり、「マテリアルな実相」が「リズム」に接し、「メタフィジカルな実相」がいわば天界の「ライム」と「モアレ」(聴こえない韻と見えない形)に繋がっている、などと言うことができるかも知れません。
[メタフィジカルな実相]
┃
モアレ ┃ ライム
┃
[字]━━━━━━╋━━━━━━[声]
┃
リズム
[マテリアルな実相]
以下、和歌や俳諧の韻律について一瞥し、その後、ライム篇、リズム篇、モアレ篇と、網羅的・体系的にではなく、目に触れ手に入るがままに文献や素材を渉猟・蒐集し、それらに共通する「論理」(形式数学)のごときものを探っていきたいと思います。