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【書録切書】五月一五日条(『ゆるく考える』ほか)
※直近で読んだ本の中で、心に残った箇所をスクラップしてまとめました。
なんかダラダラしてて日が空いてしまった...
こういうのってちょっとずつでもいいからコツコツ続けるのが大事ですね、
これから頑張ります。
■ 一覧 ■
・東浩紀『ゆるく考える』(河出書房、2021年)
・斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社、2020年)
・大岡昇平編『中原中也詩集』(岩波書店、1981年)
■ 東浩紀 『ゆるく考える』 ■
書店でつい気になって手に取ってみた。今回は「i 2018」より。最近よく思うんですが、価値観の多様性って大事ですよね〜。
入試が残酷なのは、それが受験生を合格と不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生や家族に対し「おまえの未来は合格か不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ(31頁)。
天才待望論は資本主義の論理である、才能を買い付け、売り抜ける。編集者もギャラリストもいつからかそんなひとばかりになってしまった。でもそれではダメなのだ。天才を理解し許す聴衆を育てなければ、文化は育たないのだ。いま日本に欠けているのは、その聴衆のほうである(41頁)。
批評の本質は新しい価値観の提示にある。価値観は事実の集積とは異なる。いつだれのなにが出版され、何万部売れたかといった名前や数字は、客観的な事実である。それはゆるがせにできないが、そこからそのまま価値が出てくるわけではない。同じ現象に異なった評価が下されることはありうるし、むしろ文化にとっては複数の価値観が並列するのが好ましい。批評の機能は、まさにそのような「複数価値の併存状況」を作り、業界や読者の常識を揺るがすことにある。だから、批評が「業界の常識」とずれるのはあたりまえなのだ。というよりも、そのずれがなければ、そもそも批評には存在価値がないのである(83頁)。
SNSの人間関係には面倒がない。だからSNSの知人は面倒を背負ってくれない。そんなSNSでも、確かに人生がうまく行っているときは大きな力になる。けれども、本当の困難を抱えたときは、助けにならないのだ(85頁)。
■ 斎藤幸平 『人新世の「資本論」』 ■
内田樹氏が勧めていたりしたので、買って読んでます。とりあえず第一章から、残りはまた読みます。資本主義が地球を食い尽くす前になんとかしないといけないって話です。
【参考】 人新世【ひとしんせい】 人類が地球を破壊しつくす時代(表紙より)
気候変動が将来の世代に与える影響の大きさを考えれば、私たち現役世代が無関心でいることは許されず、今こそ、「大きな変化」をはっきりと求め、起こしていく必要がある。そして、本書が最終的に掲げたい「大きな変化」とは、資本主義システムそのものに挑むことである(23頁)。
そして、犠牲が増えるほど、大企業の収益は上がる。これが資本の論理である(30頁)。
>斎藤氏はウォーラーステインの「世界システム論」を取り上げながら、周縁部(発展途上国)からの収奪によって中核部(先進国)の経済を成り立たせている資本主義の問題性を指摘する。
資本は無限の価値増殖を目指すが、地球は有限である。外部を使いつくすと、今までのやり方はうまくいかなくなる。危機が始まるのだ。これは「人新世」の危機の本質である(37頁)。
■ 大岡昇平編 『中原中也詩集』 ■
積ん読になっていたのを引っ張り出して少し読みました。Amazon Musicに朗読があります、オススメです。
あゝ 空の歌、海の歌、
僕は美の、核心を知つてるとおもふのですが
それにしても辛いことです、怠惰を逭れるすべがない!
(「憔悴」137頁)
されば要は、熱情の問題である。
汝、心の底より立腹せば
怒れよ!
さあれ、怒ることこそ
汝が最後なる目標の前にであれ、
この言ゆめゆめおろそかにする勿れ。
(「いのちの声」141頁)