近代日本文学を代表する傑作―三島由紀夫の『金閣寺』②
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11月第1作目には三島由紀夫の小説、『金閣寺』を取り上げます。
『金閣寺』は、1950(昭和25)年七月二日に、実際に起きた金閣寺放火事件をもとに書かれた小説です。
鬼才・三島の全青春をかけた総決算にして、近代日本文学を代表する傑作として、海外でも高い評価を得ています。
『金閣寺』……鬼才・三島の全青春の総決算にして、近代日本文学を代表する傑作
三島由紀夫(1925~1970)
【書き出し】
幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。
私の生れたのは、舞鶴から東北の、日本海へ突き出たうらさびしい岬である。
父の故郷はそこではなく、舞鶴東郊の志楽である。
懇望されて、僧籍に入り、辺鄙な岬の寺の住職になり、その地で妻をもらって、私という子を授けた。
【名言】
※あらすじの前編はこちら⇓⇓
【あらすじ】(後編)
老師の取り計らいで大学に入った私は、柏木という学生と話すようになった。
柏木には両足に奇形の障害があった。
彼の不具は私を安心させたが、柏木は障害を武器にして、何人もの女を支配するような男であった。
私に人生の暗い抜け道をはじめて教えてくれた友であり、鶴川とは対照的な存在であった。
鶴川は柏木を良く思わず、私に忠告したが、私は聞かなかった。
疎遠になったまま、鶴川は家族の問題で一週間ほど東京に帰ることになった。
私が童貞であると知った柏木は、嵐山遊山で下宿の娘を紹介してきた。
私は娘を抱こうとしたが、その時、目の前に威厳に満ちた金閣の幻が立ち現れ、失敗に終わった。
その夜、寺に、鶴川が自動車事故に遭って死んだという知らせが届く。
「私と明るい世界をつなぐ一縷の糸」は断たれたのである。
私はふたたび、孤独になった。
その頃から、私の金閣に対する思いに微妙な変化が生じた。
「私の内に徐々に芽生えつつあるものと、金閣とが、決して相容れない事態がいつか来るにちがいない」という予感がするのである。
昭和二十四年の正月、私は新京極の雑踏で芸妓を連れた老師に遭遇する。
それを境に、老師に対する軽蔑や不安が重くのしかかり、学業もおろそかになっていった。
その年の十一月、私は柏木に金を借りて出奔した。直接の動機は、前日に老師から、「お前を後継にする気はない」とはっきり言われたことだった。
汽車の中で、有為子や父や鶴川らが思い出された。
「私が愛せるのは死者だけなのだろうか」と思いながら、丹後宮津の由良へ向かった。
日本海の荒波と強い北風に向かっていた時、今まで思いもしなかった想念が生まれ、たちまち力を増し、大きさを増した。
「金閣を焼かねばならぬ」
私は警官に保護されて寺に戻されたが、その想念は私を捉え続けた。
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【仲川光🌸日本文学入門】
日本文学のなかから、近代文学・現代文学などをご紹介します。 作者、書き出し、あらすじ、時代背景を紹介するとともに、解説では、仲川光ならで…
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