原爆の恐怖と悲劇を描く戦争文学―井伏鱒二の『黒い雨』③
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8月第1作目には、井伏鱒二の小説、『黒い雨』を取り上げます。
近代文学じゃなくて現代文学じゃない?と思った方!
まあ、良いではないですか🤣🌸笑
『黒い雨』は、1965年~1966年に書かれた井伏鱒二の作品で、原爆の悲惨さを描いた戦後文学の傑作と言われています。
『黒い雨』――原爆の恐怖と悲劇を描く戦争文学
井伏鱒二(1898~1993)
【書き出し】
この数年来、小畠村の閑間重松は姪の矢須子のことで心に負担を感じて来た。
数年来でなくて、今後とも云い知れぬ負担を感じなければならないような気持ちであった。
二重にも三重にも負目を引受けているようなものである。
【名言】
※【あらすじ】は、第1回目・第2回目の記事をご参照ください🌸
※原爆投下については、映画『オッペンハイマー』関連記事もご参照ください。
(オッペンハイマーは、原爆を開発した米国研究者です)
【解説】
・黒い雨とは
原子爆弾投下後に降る、原子爆弾さく裂時に巻き上げられた泥やほこり、すすや放射性物質などを含んだ重油のような粘り気のある大粒の雨。
放射性降下物(フォールアウト)の一種。
・縁談前の女性に起きた悲劇
「黒い雨」の主人公は、閑間重松・シゲ子夫妻と、同居する姪・矢須子の一家三人です。
舞台は、原爆投下より数年後の広島ですが、被爆当時の体験を日記を通して振り返っていきます。
というのも、姪の矢須子が、「原爆病患者である」というあらぬ噂を立てられ、縁談がまとまらないのです。
しかし、原爆投下後、重松は広島市内横川駅、シゲ子は市内の自宅でそれぞれ被爆したものの、矢須子は当日、爆心地から遠く離れた市外へ外出していたため、直接被爆をしていませんでした。
矢須子は被爆していない。
被爆の噂で縁談を断られるなんて、可哀想だ。
そう感じた重松は、矢須子が被爆していないことを証明するため、当時の日記を清書して仲人に送ろうとします。
ところがその結果、矢須子が原爆投下後、放射能を含んだ「黒い雨」に打たれていたことが発覚。
その後、健気に結婚に向けた準備をしていた矢須子に、やはり原爆病の症状が現れはじめます。
この発病は、小説の終わりの方で明らかになるので、読者を驚かせ、深い同情を誘います。
間接的な被爆でしかなかった矢須子が原爆の後遺症を発病し、縁談どころか、病状の回復が絶望的になってしまう。
一人の女性の運命を変えてしまったことで、読者は原爆に憤りを感じていきます。
・戦争から最も遠い存在が、原爆の魔の手にかかる
もしも自分の家族の一人、それも縁談前の娘が「黒い雨」に打たれたら?
原爆とは関係ない、と主張して縁談を進めたのにも関わらず、後に原爆病の症状が現れたら?
ありふれた日常の中に生きる矢須子。
それも、嫁入り前の若い女性。
そして、とても健気な子。
だからこそ、その身に降りかかる悲惨な運命が際立ち、読者の同情を誘うのだと思います。
普通であれば、戦争とは無縁で、生命力に溢れており、幸せな未来を手にしたはずの女性。
後遺症により原爆の症状が出てしまう、というのが最もショッキングな人物設定でしょう。
想像しただけでも、可哀想で可哀想で泣けてくる、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そして、この人物設定が、あながちフィクションではない、というところもポイントなのではないかと思います。
・実際の被爆日記をもとにかかれた「ルポタージュ」
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