いつも私の記事をご覧くださり、誠にありがとうございます。
前回の記事に引き続き、『物語ることの反撃―パレスチナ・ガザ作品集』をご紹介します。
本書は、文学研究者、詩人のリフアト・アライールの編集により、英語で編まれた短編小説の全訳です。
彼はイスラム大学で英文学を教えており、大学の授業を通じて、ガザで起きている現実を世界に伝えるべく、学生たちとの共同作業を開始しました。
学生たちに、まずは個人的な体験をノンフィクションの形で書いてもらい、それをフィクションに書いていくと言うスタイルで、作品を仕上げていきます。
英語力に優れた若い世代を書き手として加えたことで、直接英語圏に自分たちの物語を発信することを目指したそうです。
今こうして、その作品が日本語訳をつけられ、2024年末に新版として刊行されました。
私が書店で手に取り、皆さんにもご紹介したいと思ったのも何かの縁。
本書に綴られる短編小説のなかから、特に心に響いた数シーンを特別に抜粋してご紹介しようと思います。
※以下、人の死に関するやや刺激の強い表現があります。不快に思われる方は、この先の文面をご覧にならない方が良いかもしれません。読むか読まないかは、ご自身でご判断いただければ幸いに存じます。
空襲により、瓦礫の下敷きになったハムザ。
救急隊の捜索によって助け出されますが、弟は還らぬ人となりました。
友人とサッカーを楽しもうとしていた矢先、爆撃を受けた少年。
サッカー仲間の友人が目の前で致命傷を負い、緊急搬送されるも、亡くなりました。
自分だけが運良く生き残ってしまったことを責め続けています。
瓦礫の下で生き埋めになりながら、バッテリーが半分しかない携帯の光だけを頼りに生きていました。
どこからか聖歌が聞こえてきたり、死の臭いを身近に感じながら、大切な家族の思い出が蘇っていました。
銃で撃たれて負傷した父の治療と、赤ちゃんの治療、どちらか一つを選択しなければならなくなり、医師たちは赤ちゃんを選びました。
その結果、父は亡くなりました。
赤ちゃんに罪はないけれど、一体何の権利があって、誰が生きて、誰が死ぬのかを決められなければならないか、と憤りの気持ちが湧きました。
また、苦しみが続くくらいなら、いっそのことひと思いに撃ち殺してくれたら良かったのに、なんて気持ちもよぎりました。
難民地区に住んでいたため、生粋のガザ市民の女性に求婚することができませんでした。
居住地区の違いや、自分が難民であるかどうかで、好きな人とも結ばれない現実に悔しさを覚えました。
子どもたちを家から避難させている時、ほんの一瞬だけ、1番下の子から目を離しました。
その瞬間、爆撃がその子のいた部屋に命中しました。
わずか数秒の違いで、子どもの生死が分かれてしまった。
私が目を離さなければ、あの子は無事に部屋から脱出し、生き延びれたかもしない。
今もあの子に「ごめんなさい」を言いつづけています。
いかがでしたでしょうか。
ガザというと、遥か遠い土地での紛争のように感じるかもしれません。
ただ、こうして日本語訳として届けられた彼らの体験記からは、同じく血の通った人間としての苦しみ、悲しみがストレートに伝わってくる気がします。
政治的な問題、長らく続く宗教対立などの背景は、もはや私たち個人が手に負えることではないかもしれません。
ただ、知っておくということは大きな力になると思います。
今もこの地球のどこかで、不条理な紛争に涙している人たちがいる。
そのことに一時でも思いを馳せることができたなら。
彼らの痛みを感じられる人が1人でも増えたなら。
世界はもっと優しく温かいものへと変わっていくのではないかと思います。
拙いご紹介でしたが、ご覧くださり、ありがとうございました。
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