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大空に散った若者たち~百田尚樹の『永遠の0』③

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12月第1作目には百田尚樹の『永遠の0』を取り上げます。

小説『永遠の0』は、2006年に出版。

2013年末には岡田准一主演で映画化され、記録的なミリオン動員を果たしました。

作品内では、戦後世代の姉弟が、特攻で戦死した祖父・宮部久蔵の生涯を調べ、戦争とは何かを学んでいきます。



『永遠の0』……大空に散った若者たち――特攻とは何だったのか



百田尚樹(1956~)

大阪府生まれ。放送作家、小説家。
同志社大学法学部を中退後、放送作家となり、「探偵!ナイトスクープ」ほか、さまざまな番組を手がける。
2006年に『永遠の0』で小説家デビュー。
文庫本がミリオンセラーとなり、2013年に映画化、2015年にドラマ化された。
2013年、『海賊とよばれた男』で本屋大賞を受賞。

代表作品:『永遠の0』『海賊とよばれた男』など


〈書き出し〉


プロローグ

あれはたしか終戦直前だった。

正確な日付は覚えていない。

しかしあのゼロだけは忘れられない。

悪魔のようなゼロだった。



※あらすじはこちら⇓⇓


【関連エッセイはこちら】

⇓⇓


※解説①はこちら⇓⇓



【解説②】


②宮部の「生きて帰る」という考え方は、当時の日本軍に弱かった考え方。


宮部久蔵は、家族や大切な人がいるからこそ、命を無駄にせず、どんなことがあっても「生き延びる」ことをモットーにしています。

命が惜しいだなんて、なんと非国民な!と言われかねない当時の風潮の中で、まさに異色の存在。

そんな彼の考え方がよく分かるワンシーンを抜粋しておきましょう。


「死ぬのはいつでも出来る。生きるために努力をするべきだ」

「どうせ、自分たちは生き残ることは出来ません。もしわたくしが被弾したなら、潔く自爆させてください」

その瞬間、私は宮部小隊長に胸ぐらを掴まれました。

「井崎!」

小隊長は言いました。

「馬鹿なことを言うな。命は一つしかない」

その剣幕に私は言葉を返すことができませんでした。

「貴様には家族がいないのか。貴様が死ぬことで悲しむ人間がいないのか。それとも貴様は天涯孤独の身の上か」

小隊長の目は怒りに燃えていました。

「答えろ、井崎!」

「田舎に父と母がいます」

「それだけか!」

「弟がいます」

そう答えた時、不意に五歳の弟、太一の顔が脳裏に浮かびました。

「家族は貴様が悲しんでくれないのか!」

「いいえ」

その時、太一の泣きじゃくる顔が見えました。

私の目に悔し涙ではない涙が溢れてきました。

「それなら死ぬな。どんなに苦しくても生き延びる努力をしろ」

『永遠の0』より


人命重視の宮部小隊長の考え方は、アメリカでは実際に採用されていた考え方であり、決して「臆病者」と非難されるものではありません。

愛する者を思い浮かべるからこそ、人は最後の力をふり絞って戦うことができる。

そして、彼らのために「必ず生きて帰る」ことを目指すからこそ、「絶対に勝つ!不利だと思ったなら一旦退却し、体制を整え直す」、という考え方ですね。


優秀な人材を失うことほど、国の未来にとって痛手なことはありません。

戦略の立て方の責任は軍の中枢部にあるため、現場では自分にできる最善のことしかできない。

宮部小隊長の「絶対に死ぬな」という指示は、鍛え上げられた優秀な戦士たちを無下に失うことのないように、という最大限の主張だったのだと思います。

もし、宮部小隊長のような考え方を持つ人が日本軍の参謀にも一人でもいれば、もっと優秀な人材を生かす戦略を立てたのではないでしょうか。

「敗戦が確定しているのに特攻で戦い続ける」という、悲劇的な終わり方もせず、別の終わり方があったかもしれません。

そうは言っても、プライド的に負けを認められない……というのが人間の性ではありますが……。



③補給・人命尊重型のアメリカと、燃料不足・人命軽視の日本。

日本兵が、たとえ自分の命をも惜しまない誇り高い精神を持っていたにしても、リーダーは戦略というものを現実的に立てなければなりません。

アメリカ軍の戦い方と日本軍の戦い方の決定的な違いを、『永遠の0』を通してご紹介していきましょう。


・アメリカ軍兵士には休暇がある一方、日本兵士軍は連続出撃

物量で押しまくる米軍は、同時にパイロットの命を非常に大切にしました。
秋頃でしたか、ラバウルにアメリカ軍パイロットの捕虜が送られてきたことがあります。
ガダルカナル島の空戦で撃墜された米機の搭乗員が我が駆逐艦に拾われ、そのまま捕虜になったのですが、彼の話は驚きでした。
何と彼らは一週間戦えば後方にまわされ、そこでたっぷり休息を取って、再び前線にやってくるというものでした。
そして何か月か戦えば、もう前線からは外される、と。
その話を漏れ聞いた時は、我々搭乗員たちは何とも言えない気持ちになりました。我々には休暇などというものはなかなか与えられません。
連日のように出撃させられるのです。

『永遠の0』より


・零戦は世界最高水準の戦闘機だが、飛行機を大切にするあまり、人命を軽視した作戦を実行


実際、熟練搭乗員も櫛の歯が欠けるように減っていきました。
いや、むしろ熟練搭乗員から死んでいきました。
というのは経験の浅い搭乗員だと撃墜されて貴重な飛行機を失う可能性が高いという理由で、熟練搭乗員が優先的に出撃させられたのです。
搭乗員よりも飛行機を大事にしたのです。

『永遠の0』より


宮部小隊長がある時、零戦の翼を触りながら言った言葉が忘れられません。

「自分は、この飛行機を作った人を恨みたい」

『永遠の0』より

「たしかにすごい航続距離だ。
千八百浬も飛べる単座戦闘機なんて考えられない。
八時間も飛んでいられるというのはすごいことだと思う。」

『永遠の0』より

「今、その類い稀なる能力が自分たちを苦しめている。
五百六十浬を飛んで、そこで戦い、また五百六十浬を飛んで帰る。
こんな恐ろしい作戦が立てられるのも、零戦にそれほどの能力があるからだ」

『永遠の0』より

「八時間も飛べる飛行機は素晴らしいものだと思う。
しかしそこにはそれを操る搭乗員のことが考えられていない。
八時間もの間、搭乗員は一時も油断はできない。

我々は、民間航空の操縦士ではない。
いつ敵が襲いかかってくるかわからない戦場で八時間の飛行は体力の限界を超えている。

自分たちは機械じゃない。
生身の人間だ。
八時間も飛べる飛行機を作った人は、この飛行機に人間が乗ることを想定していたんだろうか」

『永遠の0』より


アメリカ軍は補給を重要視しており、人員も交代制。

人命を優先し、ローテーションを組んで、次の出撃までの数日は、兵士たちに休息を与えていた。

一方、日本軍は同じパイロットが毎日続けて出撃し、疲弊していく。

兵士たちの命よりも、あきらかに零戦の機体を守ることを優先するかのような作戦の立て方。

零戦という世界が羨むような戦闘機を手にしたものの、戦略においては、戦闘員の健康や生命を軽視されていたそうです。

少ない燃料で戦うしかなかった日本にとっては、そこを精神力でカバーするしかなかったということでしょう。

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