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『神道と仏教とキリスト教』君たちはどう生きるか考察



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一言まとめ


記事タイトルの解説ですが、私は



物語中盤から登場する不思議な世界は、

『様々な宗教観と死生観が混在し、
お互いに接触できるが、同時にお互いに独立している世界』


だったと思います。



世界の縮図


これは私たちが生きている世界そのものです。

全てが繋がっていて、同時に独立しているんです。


もっと狭い範囲でいいますと、
『現代日本の宗教観・死生観そのもの』です。



神道


物語中盤の『不思議な世界』に登場した
黒い人影(幻?死者?)は神道的世界観を表していると思います。

この黒い人影は
『漁をせず、生命を殺さず、血液と臓物に触れない』
という存在です。

これ、神道における
『穢れ』に対する考え方とまるまる同じだと思うんですよ。



『穢れ』は怪我、病気、死、血液、犯罪を媒介として、それに触れたものに災いが感染するという感覚です。

強い『穢れ』に触れた者は最悪の場合 死んでしまい、
自身も『穢れ』となります。



誤解されがちですが、
『穢れ』って『汚い』という意味とは微妙に違うんですよね。
現代ではおめでたいことである出産も、宗教的な意味では『穢れ』に分類されるんです。

女性を『穢れ』として女人禁制とする聖域がありますが、これって女性を見下したり 汚いものであると捉えたりする考え方じゃないんです。

女性そのものではなく、
血液(月経)や出産や死ぬ可能性を『穢れ』としていて、出産は破水や出血がある上に、昔は死と隣り合わせ(医療技術が未発達)であるので、

そのことを『穢れ』と捉えて、聖域とは接触しないようにしているという考え方だと私は解釈しています。

『出産』により生まれた人間は、性別に関係なく
生まれながらにして皆平等に『穢れ』に触れた存在であるという解釈もあるようですが。




上記の考え方には宗派による違いがありますし、
私はこの記事を通して、『穢れ』の考え方の是非を問いたいわけではありません。



次の章と関連する内容ですが、
私達日本人にとって神道と仏教は身近にあり、ごちゃ混ぜになっています。

しかし、【死】に対する認識は真逆なんですよね。


神道では『穢れ』と捉えて、出来るだけ触れないようにします。
仏教では『転生』する過程であり、宗派によっては極楽浄土へ行くことを意味します。


もし家族が亡くなった場合、

仏壇では家族の極楽行きを願い、
同時に
神棚は神棚封じをして、一定期間触れません。


キリコさんの話によると、
この黒い人影(幻)は死者のような存在で、これに接触することはタブーである様子。


そして、
次の章で解説しているワラワラは別の世界へ転生し、人間の赤子になります。

逆の視点を持つと、別世界への転生は
今いる世界からの消滅、つまり今世での死を意味します。

しかし、
ワラワラが転生する様子は希望があり、消滅や死を恐れていません。

むしろ、自らの意志で積極的に転生しようとしています。


黒い人影(幻)とは「巨大魚を直接殺すことはできない」という共通点がありますが、
消滅や死に対するイメージが違うんです。


これは黒い人影(幻)の表す神道的世界観とは違い、
ワラワラは 仏教的世界観であることを表しているのではないでしょうか。



仏教


ワラワラは、
グルグルと螺旋を描きながら天へ上り、

まったく別の世界で まったく別の姿(人間の赤子)として転生します。

これ、仏教で言うところの
輪廻転生と六道の考え方のまんまじゃないですか?


輪廻転生とは
命あるものはグルグルと車輪が回るように何度も転生を繰り替えし、人だけでなく動物なども含めた様々な生命として生まれ変わることです。

早い話が「来世での生まれ変わり」という意味で、インドの根本的な生命観です。


六道とは
仏教において、全ての生命が生前の罪や善行の結果として輪廻転生する6種の世界のことです。

六道には下の6種類の世界があり、前世→今世→来世でまったく別の世界で まったく別の姿として転生する可能性があります。

  • 天道

  • 人間道

  • 修羅道

  • 畜生道

  • 餓鬼道

  • 地獄道



ワラワラはペリカンに食われることもあるため、両者の接触は可能です。


しかし、
両者は別の原理によって存在し、ワラワラのみが別の世界へ転生することが出来ます。

両者の空を飛ぶ原理もまったくの別物です。

ペリカンは羽を使い理論的に説明可能な方法で飛びますが、
ワラワラは理論的には説明不可能な飛び方です。


ペリカンとワラワラの2つは、
別の死生観・別の宗教観を持っていることが分かります。


ペリカンの飛び方は、
具体的で合理的で、私は西洋的なイメージを抱きました。

ワラワラの飛び方は、
神秘的で東洋的なイメージです。




まるで、
西洋のドラゴンは翼を羽ばたかせて空を飛び、
東洋の龍は摩訶不思議な神通力で空を駆け抜けるように。



キリスト教


世界を思うままに創り、その手で管理する能力がある存在。

大おじ様は
キリスト教の神でありインテリジェント・デザイン論そのものでした。


インテリジェント・デザイン論は
「知的な存在・インテリジェント」によって命や宇宙がデザインされたと捉える考え方で、世界(宇宙)を理解する方法の一つです。


「知的な存在・インテリジェント」「神」に置き換えても良いです。

『君たちはどう生きるか』において
「知的な存在・インテリジェント」「大おじ様」です。


「13個の積み木を、3日に一度積み上げて世界を創りなさい」
という趣旨の大おじ様のセリフがあります。

13と3はキリスト教において大きな意味のある数字です。
(13は忌み数、3は三位一体)



ちなみに、
パロディ宗教であるFSM教は
3日でスパゲッティモンスターが世界を創った」と主張していたはずです。

これはうろ覚えですので、間違っていたらすみません(^^; 

あと、
私はFSM教を信仰しているわけじゃないんで、コメント欄とかで攻撃してこないでくださいね。
ホント、お願いしますよ…。




年老いたペリカンは
「この世界は地獄だ。」
「我々は炎に焼かれて死ぬ。」
という趣旨のことを言っていました。

「地獄で業火に焼かれる」
という状況は、いかにもキリスト教らしいと思いました。



また、
大おじ様のようにペリカン達やインコ達の世界をコントロールするためには血縁関係が最重要です。

インコ大王は多くのインコ達からの支持も厚く、統治能力は高いのでしょう。

おそらく、インコ大王に大おじ様の力を与えたら、インコ達にとっての理想郷ができるはず。

しかし、
大おじ様は世界の統治を、
若くて この世界の構造を何も理解していないであろう眞人に任せようとしています。

インコ大王が積み上げた積み木は、すぐに崩れてしまいました…。



神の血縁者が、次の神になる資格を持つ構図は、
神の子であるイエス・キリストと同じです。



不思議な世界の崩壊


大おじ様は一見すると唯一絶対の神ですが輪廻転生にはまったく関与していません。

大おじ様が輪廻転生を重要視するならば、ワラワラ達を守るためにペリカンにきちんと魚を与えるはずなんです。


『ペリカンやインコのいる世界』と『大おじ様の世界』の中間に存在する
『楽園』には神道信者を表す黒い人影(幻)の姿もありません。

黒い人影は、
大おじ様の影響下にある飢えたペリカン達やインコ達と違い、巨大魚をエネルギーにしている様子。

明言はされていませんが、
この巨大魚は、大おじ様とは無関係に最初からこの世界に存在していたのでしょう。



物語終盤の
『不思議な世界の崩壊』には影響を受けるものと、影響を受けないものが同時に存在しています。

影響を受けるものは
『大おじ様が一人で居た世界』と『ペリカン達とインコ達』です。



ペリカンはワラワラを食べることが出来るので、お互いに接触できることが分かります。

しかし、不思議な世界が崩壊しペリカンがいなくなっても
ワラワラ達は以前と同じように存在し続けたはずです




なぜなら、
もし『不思議な世界の崩壊』と『ワラワラ達の消滅』がイコールの関係であれば、『不思議な世界の崩壊』した後の時間軸では、
現実世界に人間の子供が生まれなくなるからです。

しかし、
眞人の母の幼少期に『不思議な世界の崩壊』が起こったにも関わらず、眞人は無事に生まれています。

さらに、
夏子さんも『不思議な世界の崩壊』と同時に現実へ帰還し、その後に子供を出産しています。


上記のことから、ワラワラの転生のタイミングが

・母体に生命が宿った瞬間
・出産の瞬間

のどちらの場合であっても、

『不思議な世界の崩壊』と『ワラワラ達の消滅』はイコールではないことが証明されます。




また、
黒い人影(幻)は死者のような存在であり、ペリカンやインコと同じ原理の生命は持っていないと思われますので、

不思議な世界が崩壊したとしても【死ぬ】ということはありません。

大おじ様と無関係に存在していた巨大魚と同様に、
大おじ様の管理下にある『不思議な世界の崩壊』の後も存在し続けるでしょう。



それぞれの関係


それぞれの宗教観・死生観はお互いに接触でき、同時にお互いに独立しているんです。

『君たちはどう生きるか』の不思議な世界のお話を、現実世界に置き換えてみます。



「キリスト教信者は仏教信者の店で買い物ができる。お隣には神道信者が住んでいる。」
つまり、同じ世界に存在していて、お互いに接触できるんです。

しかし
「キリスト教信者が引っ越したとしても、仏教信者の店は営業を続ける。神道信者の住所は変わらない。」
つまり、お互いに独立している存在なんです。


キリスト教信者=ペリカン達
仏教信者=ワラワラ達
神道信者=黒い人影(幻)

上記の文章を、もう一度置き換え直してみてください。

いかがでしょうか?



さいごに


ここまで現代日本のリアルな宗教観・死生観を表すアニメはなかなか無いんじゃないでしょうか。




私は
『君たちはどう生きるか』は
ありのままの現実をありのままに表現したアニメ映画であると解釈しています。



2023年7月30日(日) 西川智成


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