柳宗悦氏 VS 北大路魯山人氏
小代焼中平窯の西川です!(^^)!
この文章は基本的に出川直樹氏の著作を基に、私なりの解釈を加えて書いております。
私自身の考え方というより、出川氏の主張を広く知って頂く試みでもあります。
はじめに
柳宗悦氏の民芸論(理論・思想)には、
それまで見向きもされなかった日常雑器を拾い上げるという優しさと、
それ以外の器物を激しく罵り非難するという二面性がありました。
柳氏の著書『茶と美』では
高麗茶碗を手放しで絶賛しながら、和物の茶碗を異常なほど(柳氏の言葉を借りれば病的なほど)激しく非難しています。
民芸論(理論・思想)には一部の文化人からの賛同もあったのですが、
同時に、当時の陶芸家や美術評論家から強い反感を買ったマイナス面もあります。
ちなみに柳氏と関りが深い白樺派の作家陣は一部を除き、柳氏の民藝運動に対しては、積極的には賛同も反対もせずに、距離を置いて傍観した方が多数派であったように見えます。
批判者の代表格は
北大路魯山人氏、
川喜田半泥子氏、
加藤唐九郎氏、
富本憲吉氏、
青山二郎氏、
あたりでしょう。
民藝運動初期には理念に共感していた加藤氏や、
民藝運動初期に重要な中心メンバーであった富本氏、青山氏などの
かつての理解者からも批判の声が挙がりました。
そんな中、最も激しく柳宗悦氏と対立したのは北大路魯山人氏でしょう。
しかし、この両氏の大喧嘩は残念ながら不完全燃焼で終わってしまいました。
今回はその考察と、「こうなっていれば良かったのに」という
たらればのお話を書いていこうと思います。
魯山人氏の残念な部分
魯山人氏の残念な部分は、
その圧倒的な口の悪さに尽きます。
いやもう…。
ホントにどうしようもないくらい毒舌なんです。
柳氏に対してだけではなく、
当時の著名な画家・陶芸家・評論家・料理研究家・お茶人などなど、誰彼構わず喧嘩を吹っ掛けていきます。
民芸理論に関して言えば、
丁寧な言葉を選んで論理的に矛盾点を指摘するならば、柳氏も反応せざるを得ません。
しかし、柳氏への罵詈雑言を思うがままに書き綴ったために、
柳氏には「なんかめっちゃ悪口言ってくる人がいるんやけど」って感じでガン無視されてしまいました。
罵詈雑言の中には重要な指摘も混ざっていただけに、
本当にもったいないことです。
しかし、毒舌家であったということも魯山人氏の大きな魅力ですので、そこの塩梅は難しいところ…(^^;
おそらく私も、
魯山人氏が性格の穏やかな善人であれば(…魯山人ファンの皆様すみません…。)、魯山人氏本人やその夥しい作品群にここまで強い興味を持たなかったでしょう。
口の悪さは魯山人氏を構成する重要な要素の一つです。
柳氏の残念な部分
柳氏の残念な部分は、
自分への批判を無視する癖があることです。
自分に不利になることが分かるや否や、硬く口を閉ざした二枚貝のごとくだんまりを決め込みます。その姿はまるで、どこか東の島国の政治家たちのようd……。
哲学者・思想家・評論家と名乗るのであれば、
自身への正式な批判を受け取れば、論理的に反論するべきです。
特に、
青山二郎氏や富本憲吉氏のような元同士からの批判には、真摯に対応した方が良かったなぁと思っています。
また、
・「民衆のための工芸」を旗印にしておきながら、なぜ民芸作家の濱田氏や河井氏は、庶民ではとても手の届かないような高価な作品を作って売っているのか?
・王、貴族、庶民が日常使いする工芸品は種類が違う。
一般人が安物を普段使いするのと同じように、王や貴族は高級品を普段使いするのだから、高価な工芸品も実用品ではないのか?
・過去の工芸品はその時代の要求に応じて自然と出来上がったものである。
用途も無いのにそれを復活させようという運動は不自然ではないか?
などという、
的を得た指摘には、真正面から受け止めて自身の言葉で反論すべきでした。
令和の時代を生きる現代の民芸研究者(思想家・哲学者)であっても、上記の問いには言葉が詰まるはずです。
言い方は悪いですが、
柳氏はどの本を読んでも同じ話を、言い回しや例え話を変えながら何度も何度も、諄いほどに永遠としているんですよね…。
論理的な指摘や明らかな矛盾点を自覚して、きちんと修正しながら『民芸理論』を構築すれば、『民芸理論』はここまで穴だらけの理論にはならなかったはずです。
桃山陶芸と柳氏と魯山人氏
桃山陶芸に関して柳氏は
積極的に賛同も批判もせず、無視に近い形をとってしまいました。
茶陶の名品が多い
志野焼、織部焼、瀬戸黒、黄瀬戸、古備前、古伊賀、古萩、古唐津などなど、
驚くほどに文章の中で触れないのです。
触れたとしても、他の器物とは比較にならないほど、ほんの一瞬です。
ちなみに上記の和物の名品には井戸茶碗と同じように、作者の銘は入っておらず、高温で焼きますので熟練の技術が必要です。
柳氏の主張する「無銘性」や「労働性」と条件は同じです。
志野茶碗の傑作、国宝『卯花墻』でさえ、誰が作ったのか分からないのです。
しかし、不思議と同時代の楽焼は高麗茶碗と執拗に比較されています。
安土桃山時代は日本の施釉陶磁器の原点であり、
柳氏の存命中も、桃山復興の大きな流れがありました。
例えば
民芸作家・濱田庄司氏と同年に、志野焼の荒川豊蔵氏が人間国宝に認定されています。
そして、それ以前から川喜田半泥子氏を中心とした『からひね会』も存在していますので、桃山陶芸にまったく触れないという方が不自然でしょう。
ちなみに魯山人氏は志野焼について文章を残しています。
上記のように志野焼を絶賛しています。
国宝『卯花墻』以外にも安土桃山期の志野茶碗をいくつか拝見しましたが、どれも大変美しく、見事と言う他ないほど素晴らしい出来栄えでした。
志野焼について、私は魯山人氏の意見に全面的に賛同します。
『茶陶』と『日常雑器』は土俵が違う
柳氏の著書の中でなら、日常雑器が勝つに決まっています。
なぜなら、柳氏が決めた日常雑器に有利すぎるルールで両者を戦わせているからです。
そして、その試合の審判(レフェリー)は日常雑器を贔屓している柳氏本人が務めます。
そもそもの話、美意識に明確な勝ち負けがあるのかが疑問です。
格闘技でさえ、際どい判定決着には批判が噴出するのが常であるのに。
日常雑器を贔屓した人物が、日常雑器に有利なルールで茶陶と日常雑器のどちらが美しいかを論じるという状況は、格闘技で例えるとすれば、
ボクシングのフライ級世界王者に無理やり相撲をさせて
「フライ級世界王者が幕下力士に負けるなんて、ボクシングは弱いスポーツだな!
世界最強の格闘技は大相撲である!」
なんて事を日本相撲協会が、恥ずかしげもなく堂々と言っているようなものです。
そんな試合、とんだ茶番劇を見せられた気分になってシラケてしまいます。
それこそ、文字通り戦う土俵が違うのです。
さいごに
魯山人氏がもっと感情を抑えて理性的に矛盾点を指摘し、
柳氏も民芸理論の矛盾点や、桃山陶芸に関する詳しい見解を発表していれば、民芸理論は理論として破綻のないものになっていたのではないか?
と思っています。
たられば妄想ですが、
もし柳氏・魯山人氏の存命中に
出川直樹氏の論理的な民藝批評本『民芸 理論の崩壊と様式の誕生』が発表され、
それに対して柳氏・魯山人氏からの感想があれば、本人たちから直接聞いてみたいものだなぁと思っています。
2024年5月6日(月) 西川智成