リ・ウファン美術館の思い出
小代焼中平窯の西川です(^^)
この記事は前回の記事の続きです。
私が瀬戸内の島々を訪れた経緯は前回の記事をご覧ください。
もの派
「もの派」とは1960年代末~1970年代に起こった芸術の動向の1つを指します。
石や木・鉄材や綿などの「もの」を組み合わせ、一つの空間を構成します。
「もの」と「もの」の関係性の中に、美を見出そうとした運動です。
その中でも李禹煥(リ・ウファン)氏は中心的役割を果たされました。
リ・ウファン氏は韓国生まれの現代美術家で、ソウルの大学を中退後、来日されました。
絵画や版画、文章も含め活発に作品を発表されています。
リ・ウファン美術館
前回書いた地中美術館に続き、安藤忠雄氏が作られた美術館です。
本来は漢字で書くべきでしょうが、おそらく初見の方には読めないので敢えてカタカナ表記にしております。
地中美術館を同級生数名と訪れたあと、I君と二人でリ・ウファン美術館へ駆け込みました。
閉館時間の数十分前だったからです。
本来は一つ一つの「もの」と対話し、ゆっくりと美術館内を巡るべきですが、時間が無いので仕方ありません。
しかし、そのような駆け足の鑑賞の中でも心に残る出来事がありました。
陶板
まず、リ・ウファン美術館へ入るための通路、そこの壁に何気なく無釉の陶板が掛けてありました。
おそらくリ氏が親指で粘土を押したであろう跡がついており、それ以外は目立った装飾や色彩はありません。
しかし、それが良かったのです。
10年ほど経った今でも、その陶板が心に残っています。
「指で粘土を押す」という単純な一動作のみで、その陶板はしっかりと芸術作品になっていました。
こまごまとした模様を書いたり、何種類も釉薬を用いたりせずとも、確かな説得力をその陶板は獲得していたのです。
広がる世界
とにかく閉館までに美術館内を見て回り、私は美術館の外に出ました。
そして、その瞬間が最高だったのです。
美術館から出て直ぐに目に飛び込んできた柱、石、鉄板、
そこには、壮大な世界が広がっていました。
それらは美術館へ駆け込んだ時にも視界には入っていましたが、特段気に留めていませんでした。
しかし、美術館の出口から見た「もの」と「もの」には、その位置関係しかありえないと思えるような必然性がありました。
おそらくサイズや配置は、練りに練ったものなのでしょう。
自身の手で作った物でなくとも、「もの」を配置をするだけで、人の心を動かすことができるのだと、リ・ウファン氏に教えていただいた瞬間でした。
「もの」を置くだけでも、確かな芸術になるのです。
前回の記事の最後にも書きましたが、このリ・ウファン美術館へも、もう一度訪れたいと思っています。
今度は閉館時間を気にせず、ゆっくりと時間を掛けて。
2024年6月20日(木) 西川智成
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