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【第30回】人生を振り返る【社会人-ライブハウス勤務⑤】

前回は突然行ったこともない高円寺ギアに異動が決定したという話でした。
今回は実際に働き始めた頃の話。

前回もちらっと書きましたが当時の高円寺ギアはギアの歴史上でもかなり低迷していた時期。
1月の半分くらいは空き日(スケジュールが埋まらず営業しない日)だったような気がします。

逆に研修中に働いていたアンチノック、サイクロンはどちらも系列内で成績が良い店舗で空きもほぼなかったのでなかなか落差がありました。
ただこれは高円寺ギアが特にひどかったというわけじゃなく、当時の都内ライブハウスの状況としてはむしろスケジュールに空きが出て苦労しているところの方が多かった気がします。
バンドブームでライブハウスが増えたけどブームが落ち着いてやっていけないところも増えてきた時期だったのかもしれません。

高円寺で働き始めた頃に思ったのはとにかくできることはしよう、ということ。
スケジュールを埋めるのは主にブッキング(ライブハウスの中での営業的な役割)の仕事だけど、PAの音が良いとか照明が良いとかスタッフが親切とかフレンドリーとかそういう要素も関わってくると思っていたので自分の担当する部分をとにかくがんばってみる。
ケーブルとかアンプとか自分のできるメンテは積極的にやったし、自分だけではできないメンテも上司に相談してみたり。
空きが多く、空きじゃなくても出演バンド数の少ない日が多かったのでメンテする時間はいくらでもありました。

あとは少しずつ本番のPAもやらせてもらっていたのでとにかくバンドとコミュニケーションとってPAとしてのスキルアップを図ったり少しでも仲良くしようとしたり。

こうやって書くとすごく前向きで優秀な店員のようにも見えますが、実際はなかなか思うようにいかなくて迷ったり落ち込んだり飲み会で荒れたりしつつ、先輩や上司や出演バンドたちといろいろ話をしたりなんだりしつつ最終的に上のような流れになっていった、という感じ。

僕のいろんな頑張りがどれくらい貢献できていたのかはよくわかりませんが、新しいブッキングスタッフが入ったりするタイミングだったのもあって高円寺ギアで働き始めてから成績はだんだん上がっていくことになります。
上がっていく時期はすごく楽しかった記憶があります。(問題もいろいろあったけど)

その中でいくつか大きな出来事があったのですが長くなってきたのでそれはまた次回以降にしたいと思います。

というわけで今日はここまで。

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NAKADA Shugo
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