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記憶の欠片を集める

この前、「感情鈍麻」という記事を書いた。

※こちらの記事です↓



依然として、記憶力は落ちたまま。
そう感じる。

これは
ずっと前に心の病にかかってから顕著だけど、
やっぱりココ最近になってからも顕著だ。

少し前の記憶でさえもぼんやりとしている。


いくら素敵なことがあっても、
そのときの情景・感情のすべてに
モヤがかかってしまって、
その感動が薄まってしまう。

(嫌なことにもモヤがかかるようになったのはいいことだけど。)

感情が薄れたと感じているのは、
きっとこのモヤのせいだろう。



でも、これまで自分のページに刻まれてきたはずのものがこぼれ落ちてしまうのは、やっぱりすごく嫌で。

だから、日記のアプリを入れて、
その時々に考えたことや起こった出来事、
そして感情のいろいろを
直ぐに記録できるように工夫してみた。

実際に紙に書くことも好きだから、
これまでやってたジャーナリングノートの他に、
気軽に出来事や感じたことをメモできるノートも作った。

これまでnoteにも載せているような
「詩」を書いているノートも
今まで以上に使うようにした。


とにかく、
私は私の日常のいろいろを
少しでも記録に残そうと、最近は必死だ。

忘れてしまう前に、
ポロポロとこぼれ落ちてしまう前に。

でもそうやって努力しても、
私の語彙力はまだ足りないから、
その時々で起こったエピソードや感情を
その当時のまんま残すことはできない。
どうしても陳腐になってしまう。

それでも、必死に残そうとしている。


多分、自分が一生懸命に生きた証を
残したいのかもしれない。

だから、
記憶の欠片を必死に集めている。

どうしてそんなに必死なのかも
自分では分からないが、
なんだか日常のすべてに
霧がかかってしまうことがすごく嫌だった。

少しでも心が揺れ動いた瞬間を、
大切な人たちとの大切な時間を、
取りこぼしたくなかった。


記憶力が戻ることが、
この先ないのかもしれないと考えるのは
ちょっとしんどいけれど。

大切な記憶の欠片だけは、
宝物として残していきたい。


だから今日も、言葉を紡ぐ。


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