6/22 近況報告
最近、強く思っていることは「治ることが怖い」ということ。再度わたしの病名を振り返ると、持続性抑鬱障害と鬱と社会不安障害の3つ。現状、病名が変更されたり疑わしき他の病気は無い。
さて、今、問題なのが「治ることが怖い」ということだが、原因は持続性抑鬱障害にあると考えている。こいつがどうやら本当に、わたしの昔から心に巣食う疫病神のようだ。いつから発症していたのかは主治医にも分からないが、おそらく物心ついたときには、今の感覚だった。
実のところ、昔(だいたい小学生から)の記憶がわたしには無い。そこだけスポンと抜けているのだ。何をしていたか、何が好きだったか、何を学んだか全て抜け落ちているのだ。おかげで、四則演算レベルの計算に苦労をしている。話がずれてしまったが、鯔のつまり、わたしはわたしと言う人格・自我が分からないのだ。元来どのような性格だったのかが、とんと見当がつかない。これが実に恐ろしいのだ。なにせ、精神的に元気だった頃の記憶が無いのだから寛解した時に、どのような自分が訪れるのかが分からないからだ。
寛解した自分は本物の自分なのだろうか。だとしたら今の自分は何者なのだろうか。このような考えがグルグルと頭のなかを巡っては、結末のない空白にポトンと疑問だけを残す。それがジワジワと不安を唸らせる。
自分とは何か、わたしは誰なのか。わたしは何を成せるのか。
いつもこの不安が目の奥に渦巻いて、現実を視る。
わたしはどうなるのだろうか。わたしは、わたしでなくなるのだろうか。
恐ろしい。