30名の方からDMをいただきnoteを拝読致しました。 #あなたのnote読みます
先日とある告知をした。
あなたのnote読みます。
企画の意図は他人のnoteを読む時間を意図的に設けるというもの。ただ読むだけではない。必ず何かしらのフィードバックを行うこと。それも読むnoteは自分のタイムラインで流れるものではなく、DMを受けることで依頼されて読むという形を取った。
これでピックアップに余計なバイアスが掛からなくて済む。
正直私自身アルファツイッタラーでもアルファnoterでもないのでそこまで多数の依頼は来ないだろうとタカをくくっていた部分はあった。しかし蓋を開けてみると目測は予想に反して外れていた。
公開から3時間ほどでDMが30件ほど届いたのである。
しばらくは「はい、後ほど拝読いたします。」のレスだけを返す工程が続いた。それもこれもヤマシタマサトシさんやcotreeのひらやまさんにリツイートしていただいたおかげだと思う。おかげでエライ目にあいました。
さて、30名もいらっしゃると自然と依頼にもバラエティに富んでくる。
添削を希望される方。
拡散もなにも必要ないのでただただ読んで欲しいという方。
自分の主義主張を拡散してほしいと希望する方。
バイアスなしで率直な意見が欲しいと希望される方。
あとはnoteの文章添削ではなくて自分が現在取り組んでいる試みを読んで欲しいとご依頼される方もいらっしゃいました。
これらの依頼に対して私は受動的にnoteを読み始めます。それぞれの独白を聞いているような錯覚に見舞われた。もし私が神父さんやお坊さんの道を歩んでいたなら毎日がこのような感じになるのかもしれないな。
依頼者の中には普段から交流のある方もいらっしゃいましたが、基本的には今まで接点のなかった方からのご依頼が多かったのが印象的でした。もしかしたら私が気付かないだけで潜在的に声をかけたいと向こうはお思いになっていたのかもしれない。なかには10月のnote酒場で数秒だけお話した方からもご依頼いただきました。DMの文面には丁寧に『note酒場で挨拶程度しかお話できていないですが、私の文章の現在地を知りたくDMしました』と記されていた。
微かな糸を手繰り寄せて相談相手にあなたが選んだのが私なのですね。では読まないわけにはいきませんね。
読んでいてみんなのお気持ちが痛いほど伝わってきました。
noteに書く。発信する。
改めて私が気付いたのはnoteを書く人口の内、それに対してリアクションが返ってくるなんて人はほんの一握りなのだ。
みんな発信するも暗がりを歩いているのである。
灯りをみな求めている。
すでに良い灯りを持ってらっしゃる方もいた。でもフォロワー数の問題。SNS上におけるコミュニケーションの少なさから、その灯りが世間まで届いていない。そこにあったのは悲しみだった。
そう感じた。
良いものはTwitterにコメントをつけて放流。クローズなコメントを求められている場合はDMでオープンにせず一人一人にコメントしました。
文章の技術論にかんしては意図的にすこし辛辣目にDM致しました。本意ではありませんが、添削という行為上それは仕方ないものとしました。
具体的に一つだけ、どのような内容のコメントをしたかここに記しておきます。
拝読いたしました。
紹介いただいたnoteは具体的に言うとエッセイと呼ばれるジャンルに入ります。そしてその中でもスナップショット的な意味合いが強い文章になると思います。
これは5年後10年後にご自身で見返した時に宝物となりえる記録を兼ねた文章です。ただ読まれる為のエッセイとしては成り立っていません。エッセイとは心象と事象が折り重なった世界を描写するものです。思ったことをそのまま書いて読まれるほど甘い世界ではありません。このエッセイと呼ばれるジャンルで読まれるようになるためには一つの芸が必要になります。スポットで書きながら、個人的な話から徐々に自身を消してゆくという作業です。
するとその文章は普遍のテーマに届きます。その時はじめて人はあなたの文章を読み始めるようになります。
書かれた方はショックだったと思います。
でもこの人は受け止められる度量があると信じて進言いたしました。
結果として、感謝の言葉が返ってきました。
私自身「どの口が偉そうな口をきいているのだ」と思いながら企画を進めましたが、ひとまず一区切りがついた中で思ったことはやってよかったという気持ちでした。
ライフワークとしてずっとやり続けるわけにもいきませんが、TwitterのDMだけは開放しておこうと思いました。読んで欲しいという方、いらっしゃいましたらお声がけください。
妖怪ポストの鬼太郎ばりに、お手紙が届けばどこからともなく私があなたのnoteを読みます。