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密教:胎蔵法は光の瞑想法

密教では、日本の真言密教だけでなくチベット密教でも資格がある人は金剛界法と胎蔵法という特殊な秘伝の何かを伝授されます。
秘伝の何かと言っても、瞑想法なのですけど、普通は僧侶だけが学ぶことができます。

阿含宗の場合、会員信徒であれば、これらの法を受講することができます。
真言宗の名称をそのまま継承していて、四度加行しどけぎょうといって5段階の密教の法を受講することができます。

  1. 如意輪法

  2. 金剛界法

  3. 胎蔵法

  4. 不動法

  5. 不動護摩法

この順番で勉強します。
月会費さえ払っていれば、ユーレイ会員でも受講できます。
だから不動護摩法まで習ったら阿含宗からとんずらしてやるぜ!という人でも、まあ受講可能ですけど、受講料は有料ですし、受講チャンスは年に1回か2回なので、数年かかりますからご注意ください。というか四度加行だけが受講目的のユーレイ会員さんは、日々の教団の情報には興味関心が無いでしょうから、伝授のお知らせそのものを見逃して受講チャンスを逃してしまい、意味不明な捨て台詞を残していなくなっちゃう気がします。

阿含宗的には、これらの受講は本気で頑張って修行しますという決意表明的なものであり、基礎教養であり(と言ってもボクもほとんど忘れちゃったけど)、教団の会員信徒の活動としては単なる通過点です。
これらを受けた前提で、会員信徒として色々活動をしていくなかで、教団から選抜されて、阿含宗独自の護摩法などを学ぶ機会を得て、護摩法要に参拝する側から法要をする側に移動していきます。
だから真言宗では超重要かもしれない不動護摩法は、阿含宗ではゴールではないので、誰でも受講できます。それに、受講したからと言って実際に護摩を焚けるかと言えば、そんな簡単なことじゃないです。なので受講のハードルは低いです。

先日、知り合いが胎蔵法を受講してきて、学んだことのメモをボクに送ってきてくれたのですが、この内容が実に的確なんだけれども、習った本人は意味を全くわかっていない(笑)
ボクが胎蔵法を習ったのは前世紀末の事で、もはや何も覚えていなくて、このメモを見て、なるほどなぁと思いました。
せっかくなので、このメモを題材に、少し瞑想技術について語っていきます。

密教の瞑想は神仏の力を借りて行うのが常識中の常識

もともと持っている真我を仏様の力を借りて行をする

Kメモ

「真我」というのは、簡単に言えば、自分の魂そのもの、自分の深層意識、潜在意識、心の奥底と捉えればOKです。意味不明な細かい定義をギャーギャー言い出す人の主張は全部無視しましょう。

仏教の瞑想の真髄というのは、神仏の霊力を自分の魂、自分の深層意識、潜在意識、心の奥底に注入して、自分の魂そのものを書き換える、浄化して高めて、普通の人間とは異なる次元にまで登っていくことです。
凡夫たる人間には自力では不可能なことで、神仏の霊力を借りる必要がある。これは絶対です。
しょせん、人間に人間を救うことはできず、でも神仏の力を借りることによって、その力、法力、霊力は無限大になる、ということは真言宗の僧侶さんでも正しい見識を持った指導者に習ったならば知っているはずです。

だから、この簡単なメモは、瞑想というのは、神仏の霊力の力を借りて、それを自分の魂、心の奥底とリンクさせて行う必要があるんですよ、と言っている。

これは超重要です。基本中の基本、常識中の常識です。

でも宗教ではない瞑想教室や気功教室のレベルでは、こんなことは言えない。だから、これらの場所で習う瞑想は人間の考える人間のレベルでの範囲での瞑想になります。

光の存在?大いなる意識?
それは宗教の範囲でしょ?それらは神仏の範疇に入るんだよ?

月を並べて瞑想する????

中台八葉院ちゅうだいはちよういん
月を9個思い浮かべて観想する

Kメモ

中台八葉院というのは、胎蔵界曼荼羅の中央部のことで、大日如来を中央に、周りを8体の仏様が囲んでいる。図はググって調べてください。

これらの仏様合計9体を月とみなして、いっぺんにまとめて自分の脳内にイメージして展開せよ、という話です。
大日如来に該当する光を自分自身に重ね合わせ、まわりに8体を、前、右前、左前、右、左、右後ろ、左後ろ、後ろの合計8方向に光を置く。
大昔からの慣習で月と言っているけれど、大昔の人は綺麗なものの象徴的な存在として月を使っていたのであって、別に月じゃなくて良い。

重要なのは、人間の魂、深層意識、潜在意識、心の奥底を書き換え、清め、高める霊力を持った光を全方向に展開して、その光で自分の魂そのものを書き換えろ、その具体的な方法がこれだ!と言っている。

これは瞑想技術的に言うと「仏光観」です。

マジか・・・そんな話をしていたのか・・・
と、このメモを見て思いました。
ボクはそんなこと言われなくても、自分を中心に全方向に霊力の宿った護摩の炎を現出させて火生三昧の瞑想をするということを、当たり前のように自力で思いついて行っていたので、なんというか、今更感がありました。

で、人間の魂存在を書き換えるような霊力を持った光を、どうやってイメージするのよ?と疑問に思ってほしい。

心の中に光に梵字の「ア」を思い浮かべよ?

自身の中に満月があって、その中にア字が書いてあると観想して、月が仏様、九識で凡夫の意識を仏様の教えに変える

Kメモ

九識は「くしき」と読む仏教の専門用語で、大昔の暇人だったアビダルマ論者や唯識論者の人らによるマニアックで意味のない心の分類方法。そんな細かい定義、無視でOK。
それでも気になる人はググってください。

「自身の中に満月があって、その中にア字が書いてあると観想して、月が仏様」という部分が、脳内にイメージした光に霊力を持たせる具体的な方法となる。ア字というのは、阿吽の呼吸の「阿」だけれども、梵字、サンスクリット語の「ア」。どんな文字か興味がある人はググってください。
当時の人たちの共通認識の中に梵字の「ア」には汚れのない綺麗なイメージがたぶんあって、「ア」を思い浮かべれば光も綺麗になる!みたいな、そんな理屈である。

そして、その綺麗だと思った光を以て、九識、つまり自分の魂、深層意識、潜在意識、心の奥底を浄化する。
そして「凡夫の意識を仏様の教えに変える」というのは、言語化される前の神仏の純粋な思念そのものを自分の魂に植え付けて、魂の質そのものを変えてしまい、人としての霊的な限界を超えていく、ということである。

つまり光の中に「焼肉」という漢字を思い浮かべれば、その光は香ばしい焼肉の香りを放つようになり、その光を食べるイメージをすればリアルで満腹になる!!!!!という瞑想技術である。

これだけ読めばそうなるので、そんなアホな・・・となる。

想像上の産物にさらに想像を重ねる、妄想に妄想を重ねて、いったい効果があるのか?という疑問を持ってほしい。

光に霊力を与えるには本物の本尊が必要

地道な修行の結果、神仏やご本尊様の霊気・神気というものを如実に感じる霊感を持ってしまった立場の人間からの意見として言わせてもらうと、光の中に梵字の「ア」をイメージしたら浄化された光になる、というのは、目指すところの理屈はわかるんだけど無責任だな、と思う。
この方法を最初に生み出して他人に指導した人は、例えばこういう方法があるよ、という事例として説明したのかもしれないけど、たぶん、その部分だけが独り歩きしちゃってる。あと、最初にこの技法を他人に教えた人は、本物の霊力を持った本尊が必要だ!と絶対に言っていたはずです。

胎蔵法の瞑想法は、仏様の霊力を宿した光を浴びるイメージをして自分の魂存在そのものを清めて、高めていく瞑想だけれども、じゃあ、どうやってその光に霊力を持たせるのか?が焦点になります。

煩悩にまみれた人間風情が自分の想像・妄想で思い描いても、そんなものは人間の想像・妄想のレベルにとどまってしまう。
だから、遥かに人間のレベルを超えた高位存在の霊力を放つ本尊、曼荼羅等々が必要になる。
霊感が無いときには、その本尊や曼荼羅が放つ本物の霊気を、そういうものが本当にあるんだと信じて、自分の体全体で吸収するように、自分の脳内空間全域にその霊力が満たされるようにイメージして、その霊力が光となり、自分の魂そのものを、深層意識、潜在意識、心の奥底を浄化するイメージを、本気でやる。超頑張る。

これは、最初のメモの通りです。

もともと持っている真我を仏様の力を借りて行をする

Kメモ

梵語の「ア」字をイメージする必要は全く無い。その代わりに目の前に物理的に存在する本物の霊力を放つ本尊そのものが絶対に必要で、本尊の放つ霊力を脳内に取り込んで展開できるように、頑張るのです。

それがわかれば「真我」とか「九識」とか、そんな言葉の定義にこだわることは無意味なのだということがわかるはずです。そんなの、どうだっていいんだよ、自分の魂そのものを書き換えろ、それが結論なのだから。

こういう事を、ガチで何年も何年も継続してやっていると、他にも色々やっているんだけど、そうすると、どこかで損益分岐点を超えて、霊的な力を何も無かった人間でも、特別な感覚を授かる場合がある。ソースは自分。
で、授かった霊感を以ていろいろやってみて、なるほど自分がやってきたことは正しかったのだと確信できるので、こういう文章も書くことができる。

これは宗教と離れた世界にいる瞑想教室や気功教室の人には語れない。
仏教を思想・哲学と思っている人や、字句解釈や心のこもらない翻訳に熱中している人にも語れない。
仏教は宗教なのだから、その瞑想には宗教的なエネルギー、霊力が必要になるのは、当たり前のことなのだ。
それは自信を持って言える。

なるほど、言いたいことはわかりました。
で、その本物の霊力を放つ本尊とやらは、どこにあるの?
と思ってくれた方にお伝えしたいのは、ひとことです。

ごめんなさい。阿含宗の本尊以外、どこにあるのか、ボク知らないです。

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