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仏法僧の源流 阿含経・三供養品 聖衆②

現在の漢字文化圏における仏教において仏法僧という概念があります。
この仏法僧の源流は阿含経あごんぎょう三供養品さんくようぼんというお経にあります。

下記は三供養品さんくようぼんと仏法僧を並べた対比です。

①仏:如来のみもとにおいて功徳をえる
②法:正法において功徳をえる
③僧:聖衆において功徳をえる

三供養品では、この条件を満たした上で修行をしっかりやると、普通の人(凡夫)の境界を脱して四沙門果の段階まで到達できると説明しています。このnoteは「聖衆」を軸にした三供養品の説明を行います。


「聖衆」

於聖衆而種功徳
聖衆において功徳をえる

阿含経あごんぎょう 三供養品さんくようぼん

三供養品の修行によって四沙門果の境界に至る

仏法僧の源流である三供養品は、在家修行者でも実践可能な修行法を説いているお経です。
①如来、②正法、③聖衆の定義をなんとなく並べて説明したお経ではありません。

①如来のみもとにおいて、②正法において、③聖衆において功徳をえる

これは、このように言葉を置き換えて理解する必要があります。

①如来が実在する場所で、②正法の霊力を浴びながら、③聖衆のひとりとして法要、修行に参加することで功徳をえる

仏教の修行は、お経を唱えるとか、瞑想するとか、小難しい屁理屈を理解したつもりになった自分に酔って、自分は悟りを得たと勘違いしても成就しません。

仏教の修行は究極的に自分だけでなく家族も含めて悪因・悪業・カルマを消滅させるという大目標があります。
とはいえ、普通の人の仏教の修行は、とにかく四沙門果の第1段階まで到達すること、まずはここを目指すことになります。

三供養品は、しっかり修行すれば、この四沙門果ししゃもんかの境界に到達できるのだぞ、ということを説いています。
四沙門果ししゃもんかについては他のnoteを参照ください。

三供養品に則った法要に参加することが修行になる

何をどうすれば、三供養品に則った修行となり、どういう仕組みで四沙門果ししゃもんかの境界に至ることができるのでしょうか?

具体的な修行は、①本物の如来が②正法の霊力を放出する法要に③聖衆のひとりとして繰り返し参加することです。

他のnoteでも繰り返し伝えていますが、阿含宗の護摩法要の最大の特徴は明瞭に霊力が降りてくるところにあります。
この霊力は、人間や土地の悪因・悪業・カルマを消滅させる力を持っています。

そして修行とは、この霊力を何度も何度も長期間に渡って浴びること
これに尽きます。

阿含宗の護摩法要は①如来が必ず降りてきて、その如来が放出する②正法の霊力が③聖衆の悪因悪業・カルマを少しずつ削って消滅させ、さらに功徳の種を植えてくれます。
これを長期にわたり何度も繰り返すことによって、③聖衆の魂に植えられた功徳の種が芽吹いて育ち、③聖衆の魂レベルが本人が自覚しないうちに上昇し、気づけば修行が進んで四沙門果ししゃもんかの境界に至る
というプロセス、仕組みです。

こんな簡単なことで?と、思うかも知れません。

もちろん、数回お試しで護摩法要に参加してみたところで効果が出るほど甘い世界ではありません。
誰もが、これまで長い間に何度も輪廻転生を繰り返し、多くの悪因・悪業を積み重ねた結果、今の人生があります。この悪因・悪業は、たった数回法要に参加しただけ、たった数年頑張ったふりをするだけで消滅させることはできません。
どうしても、結果が出るまでには時間がかかります。

でも、この方法ならば、
たとえ難しい仏教理論や教学がわからなくても、
たとえ難しい瞑想の境地にたどり着けなくても、
普通の信徒さん、修行者さんでも確実に実践可能な修行です。
それが三供養品さんくようぼんというお経に書かれています。
このお経の価値は、まさに、ここにあります。

書籍や過去のnoteへのリンク

阿含経三供養品についての阿含宗開祖の解説がある書籍はこちら

三供養品についての解説と同時に、「意生身」という、現代の我々が一般的に幽霊と思う存在をお釈迦様がはっきりと認めている経典が掲載されています。お釈迦様は霊魂を説かなかったという一部の人の説明は誤りです。それをこの書籍でご確認いただければ幸いです。

縁起論について。その辺の自称仏教者やスピ系の語る仏教の「空」の説明を読む時間があるなら、ボクの説明を読んでください


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