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ゆるいブログ:御本尊様の奉安式典

ゆるいブログです。

2023年9月、茨城県つくば市の阿含宗つくば連絡所というところで、御本尊様の奉安式典がありまして、顔を出してきました。

ご奉安の護摩法要のときには、しっかりと神仏の霊気がおりてきていましたので、この地域の守護にお力添えいただけるよう祈りました。
ご近所の方たちが、人生に行き詰まる前に、ご相談に来ていただければ、と思っています。

ここからは、ゆるい私的な内容です。

法要前日は、ホテルに宿泊していて、部屋からの眺めが良かったです。
なので、部屋の明かりを消して、夜景を眺めながら、
スッと瞑想状態(ヘミシンクでいうところのフォーカス12以上のどこか)にシフトして、
脳内の瞑想空間を拡張展開し、目の前の夜景や、自分が歩いて見てきた近所のつくばの町並みを脳内空間と重ね合わせ(止観の瞑想法の観、ビパシャナ)
阿含宗の御本尊と護摩の炎を、その空間内に固定し(止観の瞑想法の止、シャマタ)
本尊は地域の悪因悪業を断ち切る霊力を宿した光を発し(仏光観)
お護摩の炎は地域の悪因悪業を浄化するために火力を上げ(火界定)
その光と炎をエネルギーごと、御真言を唱えながら呼吸を駆使して空間に行き渡らせる(導引気功)
それは自分の力で行うのではなくて、神仏の力によって行う(入我我入)

脳内空間を現実空間とリンクさせて、仏光や護摩の炎を行き渡らせるというのは簡単ではなくて、頭の中で色々試行錯誤を繰り返します。
360度、四方八方に空間は広がっていますから、心の中の瞑想空間を、前を後ろに、後ろを前に、右を左に、左を右に、右の後ろや左の後ろも忘れずに、自分の心を回し、あるいは空間そのものを回すなど色々やります。
そして心のなかで天空を見て、あるいは地を見る、上を下に、下を上に。
その空間に闇(不浄)があると想定して、仏光と護摩の炎で照らして燃やして浄地と化す。
その浄化は自分の力で為すのではなくて、神仏の力であることを決して忘れてはいけない。

四神足修習に至る原因と条件
釈尊:
「比丘たちよ、私は以前、まだ等覚を現等覚していない菩薩であったとき、このように考えました。『どんな原因、どんな条件で神足を修習できるのだろうか』と。比丘たちよ、その私はこのように考えました。「{意欲・精進・心・観}に依る禅定に基づいて勤めおこなうことを具備している神足」を修習する際、私の{意欲・精進・心・観慧}が減退しすぎないように、また、やりすぎにならないようにしよう。内に沈み込んで縮まないように、また、外に散乱しないようにしよう。前後想を持つ者となり、前にあったように後のことを、後のことを前にあったようにしよう。下を上のように、上を下のようにしよう。昼を夜のように、夜を昼のようにしようと。このようにして、開かれて、制限のなくなった心をもって光輝に満ちた心を修習したのです。」

ダルマさんのnoteより

この状態を頑張って維持して、20分から30分くらいすると、阿含宗開祖が「霊性の部位・間脳」と呼ぶ場所だと思うのですが、脳の奥が振動を始めて、光も発するような気がして、さらに力も出るような気がします。
その脳内の場所を意識をすると振動が弱まるので、意識しないように意識して、振動と光を感じながら「うーーーん」と頑張る。
ただ脳内に振動が始まる頃には、もう疲れちゃってるので、気力も集中力も続かない。もう疲れたーって気持ちになって終了です。

脳内瞑想空間にリアルな地域を重ね合わせるというのは、実際に現地に行くのと、地図で見て想像するのとでは、全く違います。
やはり現地に行く必要があると実感するのですが、ボクはそんなに頑張っている会員信徒ではないので、あんまり頑張れません。
ボクより遥かに高い瞑想の才能を持つ人は、この世の中に、いくらでもいるはずなので、そういう人たちに、ボク以上に頑張って欲しいです。

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