見出し画像

阿含宗で必要な5種類の瞑想技術

はじめに。
これはボク個人の分類です。草の根レベルでは、似たようなことを言っている阿含宗会員信徒がいるかもしれないけどボクの周りでは皆無であり、教団としても公式な見解や分類は無いです。だから阿含宗会員信徒でも、こんなことを考えた人は、ほとんどいないと思う、そういう内容です。


阿含宗の修行で必要となる瞑想技術

阿含宗の会員信徒が修行として行う瞑想技術は、概ね下記の5種類に分けられます。そして、瞑想修行の目的に応じて、下記の複数の瞑想技術と御本尊や曼荼羅を組み合わせて瞑想修行をします。

1. 導引気功
2. 止観の瞑想法、但し止観の同時展開を行う
3. 仏光観
4. 火生三昧
5. 入我我入

宗教の範疇に入らないのは1と2。これは一般の方でも可能。
但し、このnoteが阿含宗で・・・という趣旨の文章なので、宗教的に書いてある部分があります。うまいこと脳内変換して読んでください。
3以降は宗教が絡まないと実行不可能な瞑想です。

そういう内容でも興味があるようでしたら、ぜひ目を通してみてください。

導引気功

導引気功というのは、仙道等でも行っている気海丹田に気を発生させて、それを体内のルートに沿って巡らせるという技術です。

阿含宗でも最終的にはチャクラ開発といった段階で必要となるものでありますが、はっきり言って、ここまで到達する人は極小数で、最初から特別な使命を持って生まれてきたようなレベルの人たちの話であり、99%の以上の人は残念ながら、どんなに頑張っても全く身につかないか、ある程度できるというレベルで止まる。チャクラ開発というのは、阿含宗開祖の書籍でも、はっきりと、でも目立たない書き方で、相当高い修行段階に辿り着かないと実行不可能な修行と書かれています。そういう訳で、どうせ大半の人はできないのだから(とは一切公言されていないけれど)、もうこの技術は阿含宗でも教えておらず、本当に意欲のある人が細々とやっているのだろう、という修行になっています。

ボクは阿含宗会員信徒になる前、中学2年生の時に、高藤さんという方が書いた仙道の瞑想修行法の書籍に出会い、実際にやってみたら「気」が発生し、中学3年生の頃には高藤仙道でいうところの小周天(首まで気をぐるぐる回す)ができるようになりました。この高藤仙道について、細かく書いてくれた方がいますので、リンク先を貼りました。

ボクは気の存在を認識して、ある程度動かせるようになった頃に阿含宗開祖の「求聞持聡明法秘伝」という書籍に出会い、書籍を読み比べてみれば、はっきり言って阿含宗開祖の方が修行法として格上でした。そして、今にして思えばなんとも恐ろしいことに、中学3年生のボクは一人で阿含宗の道場にやってきて会員信徒になるという暴挙をしました。

求聞持聡明法秘伝 桐山靖雄著 より

そんな厨二病全開だった自分語りがメインではなくて・・・
この導引気功で培った気を動かす技術は、実は一覧に記載した仏光観、火生三昧、入我我入で非常に大きな役割を果たす基礎技術となります。それは身につけているからこそ、わかるものでした。これについては後述します。

導引気功は、基本的には物理的な肉体の範囲から出ない。まあ高藤仙道は、気を練って体外に出して、その体外に出した気に心も移して移動できるようにする「出神」という幽体離脱のような技が究極奥義みたいな感じで書かれていて、それができたらから何なの?それで世のため人のためになるの?と厨二病を全開で発症していた当時のボクは思いました。その思いは今でも変わりません。ボクにとって高藤仙道は凄く世俗臭が強いんです。

また、仙道は基本的に肉体ベースの瞑想修行であり、仙道や導引気功をやっているけど、その先に行けない、何も効果が得られないという人は、この肉体に固執した瞑想の枠を出ていない可能性があると思います。それでは足りないのです。これはボクのこれまでの経験から思うことです。

ここでの結論は、仙道、導引気功というのは、
・肉体を基準にした技術なので、どこかで限界が来ますよ
・とはいっても、この導引気功という技術は重要ですよ
・なぜならば、単体で使用する技術ではなくて、後述する仏光観、火生三昧、入我我入で役に立つ技術だからです

となります。

止観の瞑想法

止観の瞑想というのは「止」はカタカナでは「シャマタ」、「観」は「ビパシャナ(表記は色々)」とも呼ばれています。

「止」は何かに集中する瞑想で、例えば座禅の心を無にすること、何も考えないことに集中するようなものです。

「観」は意識を拡げる瞑想で、ヘミシンクで言うとフォーカス12が該当するとボクは理解しています。またマインドフルネスなどの、一般的に瞑想と言われているものは、「観」の範囲に入ります。

「止」を完成した「観」でなければほんとうの瞑想ではなく、「止」でとどまって「観」に入らない定(じょう)は、これまたほんとうの瞑想ではないのである。
「止」と「観」はおなじように修せられなければならない。そうして、非常に高度な瞑想(観)をするためには、おなじように非常に高度の集中(止)が体得されていなければ不可能なのである

輪廻転生瞑想法2 桐山靖雄著

止観の瞑想を阿含宗的な瞑想方法で説明すると、まずは、とにかく広い空間を脳内に展開することから始めます。

阿含宗では「宇宙を瞑想する」という表現をすることもありますが、ボクはそこまで広い空間は作れなくて、自分が昔よく見ていた湘南の海、目の前いっぱいに拡がる相模湾の広大な水平線を基本の風景として展開します。水平線の「線」を脳内画像として描くのではなくて、空間の広がりも再現する。ずっと、ずっと遠い向こうに水平線がある。

そして空の高さも表現する。高い空。今、これを読んでいる方、あなたのイメージする空を目を閉じて脳内に展開して欲しい。あなたが脳内にイメージした空はどこにありますか?眼の前にあるのではないですか?空って目の前にあるものですか?違いますよね、ずっとずっと高いところに空がある。その空間、高さそのものを脳内空間に表現してください。

広い空間を前も上も、右も左も後ろも下も全方向に向かって展開する。この脳内空間を拡げるという行為が「観」の瞑想法の基本。これが想像以上に難しい。

この「観」の瞑想法、空間を拡げるという感覚は、一般的の方の場合はヘミシンクのフォーカス12を頑張って練習すると、瞑想の才能に恵まれていなくても、何とか身につくと思います。ソースは自分。数年かかりました。

そして、この「観」の空間を維持した状態で、目の前の脳内空間に、阿含宗であれば本尊を具現化して固定する。
この本尊を脳内にイメージして固定して姿を見て、意識を集中し続けるという行為が「止」の瞑想法。

重要なのは「観」の空間を維持した状態で、「止」の瞑想法で本尊を具現化するという同時展開を行うことです。

片方だけやるのではなくて、両方一緒に維持しつづける必要がある。瞑想の才能がある方は、当たり前のように、すんなりできてしまうのかもしれませんが、それは恵まれた特別な才能なのであって、普通の人は相当頑張って練習して、やっとできるようになる瞑想技術です。

もし真言宗の僧侶さんやチベット密教に詳しい方がこれを読んだら、それって道場観が「観」で本尊観が「止」かな?と思うかもしれません。そうです。それをガチでやれ!と言っております。お次第に書かれた文章を声に出して読み上げて修法や勤行をした気になるんじゃなくて、ガチで脳内空間に具現化しろ!と言っております。

これが止観の瞑想の実践です。
特別な瞑想の才能を持たない普通の人には、かなりの高難度です。

仏光観

ここから先は、宗教的な要素が必須になる瞑想技術です。

仏光観の理論

止観の瞑想で脳内空間を拡げて、そこに本尊を具現化させます。
そして、その脳内に具現化した本尊と、目の前にあるリアルの本尊をリンクさせます

リンクさせるって、何をどうするんだ?という話なんだけども、これは弘法大師空海が「弁顕密二教論」という文書の中で「それ佛は三身なり」と語って説明しているとのことです。

仏様は、
1.応身
2.法身
3.報身
の3種類の体を持っている。

応身というのは、物理的に目の前に存在する御本尊様のこと。
そして修行者は祈るところの本尊を脳内にイメージする、専門的には本尊観を行って勧請する本尊の存在を明確に観想する、これを法身の仏と言う。
そして仏界から、自分がイメージした法身の仏の姿として仏様に実際に降りてきてもらう、これを報身の仏と言う。

この三種を「えいっ!」とひとつにまとめることを俗にお御霊を入れると言って、それによって三身がひとつにまとまった仏様を「三身即一(さんしんそくいつ)の仏」と呼ぶ。

これを脳内空間で行う。止観の瞑想で脳内空間を拡げて、そこに本尊を具現化させて(法身)、眼の前のリアルな本尊(応身と報身)とリンクさせる(三身即一)。

仏光観の本当の難しさ

普通の人がこれを実行しようとしても、そもそも仏界に縁がなく、どんなにイメージして祈ってみても空振りで、報身の仏としておりてくる本体が存在しない。

言ってみれば、仏界、天界に連絡しようとしても、携帯電話等々の連絡手段が無い状態です。

お店で買ってきた曼荼羅や仏具、書籍の曼荼羅や本尊を印刷しても、そこには何も宿っていないので空振りする。何も宿っていない本尊に祈るのは、アニメショップ等々で購入したエロフィギュアに祈るのと同じです。空振りするならまだ良いけれども、その本尊・法具が実は魑魅魍魎の類につながっていたとしたら、もう救いようがない。

本当にこの瞑想をしようとしたら、テクニックよりも本物の霊力を持った本尊や法具を入手するという環境構築が最難関だったりします。

仏光観の実際

さて三身即一の仏を止観の瞑想空間に具現化させたら、その本尊が、白銀の、或いは紫磨黄金の大光明を放っているイメージをする。「紫磨黄金の大光明」というのは昔から伝わる表現で、仏舎利尊は紫が混じった金色の霊光を放出しているそうです。
そういう光を単純にイメージするだけではなくて、その光は三身即一の本尊が発している「霊力を持った光なのだ」と本気で信じて感じる。これは「光の中に声あって、微妙(みみょう)の法を説く」と言う表現で昔から伝わっています。

そして、その光で脳内空間全体を照らす。だから仏光観という。

さらにその仏光を自分の魂の奥底、深層意識、潜在意識の奥底に届けて、自分の魂そのものを清め高める。
この光を魂の奥底に届ける時に、導引気功の練習で培った「気」を操作する技術を使用する。というか、ボクの場合は、この光をどうやって魂の奥底に届けるのか?どうやって空間全体に満たすのか?ということをあれこれ試行錯誤しているうちに無意識で導引気功の時に使用する技術と呼吸法を駆使していました。

輪廻転生瞑想法2 桐山靖雄著

書籍で見ることのできる阿含宗開祖の仏光観のイメージです。

ここまで大きな光ではないけれど、ボクも、このような感じで見えることがあります。
阿含宗の本堂の本尊に光が重なっているのだけれど、でも、この光がどこで光っているのか、よくわからない。
物理的に本尊が光っているようでもあり、脳が直接反応して脳内だけで光っているかのようでもある。フォトショップなどのグラフィック系ソフトウェアを扱う人にわかる用語でいうと、レイヤーが違うとしか言いようがない。物理存在が見えるレイヤーと、光の存在するレイヤーが違う。でもレイヤーが重なっているから本尊が光っているように見える。

そして、この光を記憶に留め、その光を眺め続ける瞑想をすると、脳内の、とある場所がこちらの意思とは無関係に反応する。

火生三昧

火生三昧というのは、仏光観の光を護摩の炎に変えて、阿含宗で言うところの成仏力が宿った炎、つまり人間の悪因悪業・カルマを焼き尽くす霊力を持った炎で、自分自身の脳内空間、自分の魂そのものを焼き清め高めることです。

理想は、止観の瞑想で拡げた空間全体を護摩の炎で満たすこと。
そして、これが難しい。
もちろん、この炎も導引気功の練習で培った「気」を操作する技術を使用して空間全体に充満させる。ふぅーっという吐く呼吸とともに、ごーっという勢いで炎を送る。

ライターやマッチ等で点火した炎、放火事件や戦火の怨念の炎のようなものではダメで、三身即一の御霊入れがされた聖なる霊力が宿った炎でなければ意味がない。
やりたいのは、炎をイメージすることではなくて、霊力が宿った炎を具現化することです。これ重要。

これは阿含宗会員以外の方でも、阿含宗の護摩法要に参加して、この炎を霊力も一緒にまとめて記憶に留めて持ち帰り、その炎を思い出して瞑想修行をしていただければ良いので、敷居は低め・・・なのですけど、勇気を出して護摩法要の日時に合わせて阿含宗の道場に来るという行為が超難関ですね。

火生三昧の実際

ヘミシンクでは瞑想の最初の段階で「エネルギー変換ボックス」と称して自分の悩みや余計な思考を箱に入れて捨ててしまう、ということをします。
仏道修行の観点では、悩みの根源というのはポイッと捨てて何とかなるものじゃなくて、これを根源から消滅させることが主目的になります。
そこでボクがやっていた具体的な手段が、ヘミシンクからテクニックを拝借して悩みの根源、悪因悪業的なものを魂から引き剥がして箱に入れ、その箱を護摩の炎に投入して焼き尽くすイメージを本気でする、ということ。
それを毎日繰り返していたところ、ある日、こちらの意思とは関係なく、勝手に箱から金色の光が吹き出してこちらに飛んでくるイメージが見えたことがあって、「うわ、汚い、悪業こっちに来るな!」と瞬間的に思ったのだけど、今にして思えば、悪因悪業が浄化されて、ヘミシンクで言うところのエネルギー変換がされたのだろうなと思う。

霊力が宿った炎の色

阿含宗開祖の霊力は濃い紫色をしている、と言われています。
その霊力は阿含宗の護摩の炎に宿っていて、高い霊眼を持つ人が阿含宗の護摩の炎を見ると炎の中に紫色が混ざっているのが見えるらしい。
ボクには護摩の炎は、炎の色にしか見えない。

ある日、阿含宗会員歴30年以上、真面目に活動しているけど教義教学の理解度についてはちょっと残念なオバちゃんが「今日もお護摩の炎がとても綺麗だった」とボクに言いました。それはそうだろうと思いながら、テキトーに聞き流していたのだが、そのオバちゃんが続けて言うには、お護摩の炎の中に紫色や緑色が混じっていて、それがとても美しいのだ、という。

前述の通り、護摩の炎の中に紫色が見えるというのは、護摩の炎の中に宿る阿含宗開祖の霊力が見える霊眼の持ち主であることを意味するから、そんな馬鹿な!と思って、今度は真面目に、よくよく話を聞いてみた。するとオバちゃんが炎の中に見る紫色は、薄紫色、すみれ色といった色合い。色見本を見せてボクが確認した。

・護摩法要の時、実物の炎を見ると、炎の中に紫色が見える
・裏側の部屋で、モニター越しに生中継で炎を見ても、紫色が見える
・録画のビデオでは紫色は見えない

そういう特徴があるらしい。

更に証言を取ると、そのオバちゃんと親しい別のオバちゃんも同じように炎の中に紫色が混じっているのを見ていて、しかも見えるタイミングも同じだから、阿含宗で真面目に修行している人は、誰もが皆、当たり前のように炎の中に紫色が見えるのだと、信じて疑わなかった、という。

そんなわけがあるか!!!!

どうやら阿含宗で一生懸命活躍しているオバちゃんたちの中には、霊眼を持ちつつあるのに、そのことに気づいていない猛者がポロポロいるようだ・・・

入我我入

入我我入(にゅうががにゅう)というのは、仏光観をさらに一歩進めたようなものです。
止観の瞑想で脳内空間を拡げて、霊力を宿した神仏を具現化させる、ここまでは同じ。

その次に、その具現化した神仏と自分の魂そのものを重ね合わせて一体化させる。自分自身がその神仏そのものになる。

仏光観と入我我入は似ているようで、目的や用途に違いが出てきます。

仏光観は相手が向こうにいて、自分がその光を浴びる。
入我我入は自分と本尊が重なって一体化しているという点が異なります。

仏光観は、諸仏諸尊の仏光によって、自分だけでなく、他者や地域を霊的浄化するときに必要となる技術のひとつ。

入我我入は、自分の魂と神仏の霊力を重ね合わせることで、自分の魂存在そのものを清めて、高めるための修行の瞑想技術のひとつ。

この瞑想を地道に続けていくと、言葉になる前段階の思念そのものを本尊から受け取っているのでは?という出来事に遭遇します。これは仏光観と入我我入の両方で発生しうることで「思念による王者の相承」の簡易版としてボクは認識しています。
「思念による王者の相承」については、下記のnoteを参照ください。

こんなこと、誰でもできるの?

【結論】できません。

導引気功や止観の瞑想は宗教が絡まない部分が多いので何とかなります。
しかしながら仏光観、火生三昧、入我我入は霊力を持った本尊の存在が必須です。その本尊が無ければ、型を沿っているだけで、実際の力にならないのです。

じゃあ、阿含宗の本尊を入手して使えばいいんでしょ?買うよ!と思うかもしれないが、残念ながら、そうはいかない。

なぜならば、本尊の向こう側には神仏の意思があって、その本尊の向こう側の意思が「この者を救わなければならない、協力したい」と思わなければ力を出してもらえないからです。あなたの思惑や野望は関係なくて、神仏がどう思うかにかかっています。
あなたには人並み外れた高い瞑想テクニックの才能があり、本当に見事な光や炎のイメージができるかもしれない。でも、そのイメージを受け取って実際に霊力を載せるかどうかを判断するのは物理的な本尊の向こう側にいる本物の神仏なのです。これを忘れてはいけない。

信仰、信心しているフリ、見た目だけは立派にやっていても、そこに心が無ければ神仏は動いてくれない。

本尊の向こう側にいる神仏は、あなたの外面を見ているのではなくて、魂そのものを見ているのだから、力だけを求める嘘偽りの信仰心は通用しないのです。

さらに言うと、瞑想の効果が出るためには、それ以前の段階として自分自身と家族、家系の霊的浄化ということをする必要があります。
自分と家系の霊的浄化を頑張って、人生の苦難に立ち向かいながら色々悩み苦しんで乗り越えて、その裏では地道にコツコツと上記の瞑想を続けて、気付けば長い年月が経っていて、それでやっとスタート地点に立つ資格を与えてもらったらしいのが今のボクです。
それをあなたもやらないと、ここまで辿り着けない。

というわけで、覚悟を決めて来てくれないと、実践は不可能です。

瞑想するためには栄養が必要

瞑想は脳を使用します。
このnoteに書いた瞑想技術は、全て脳みそを頑張って使う瞑想ばかりです。
そして脳みそを使うということは、脳みそが栄養を必要とするということです。

脳内物質が動くためには、ビタミン・ミネラルが必要です。

脳細胞や脳が必要とする脳内物質は、タンパク質が原材料です
タンパク質・プロテイン摂取を伴わない瞑想は自殺行為です。

変更履歴

このnote、なにげに、地味に読んでくれる方が多い記事です。
文字数が多いのに、ありがとうございます。
ですので、記事へのリンクを追加したことがわかるように履歴をつくることにしました。

23/08/22 加筆修正

入我我入の記事を改修。魂を重ね合わせることが重要。仏光観との比較の文面追加など。
瞑想にはビタミン・ミネラル・プロテインが重要ですという記事へのリンクを追加

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?