霊力を持つ真正仏舎利を信仰の中心に置く
日本人なら誰でも知っている「南無阿弥陀仏」という言葉があります。
思い切り平易な言葉でいうと、
お釈迦様が、色々あって(色々は省略)、ガチで阿彌陀佛は本当だぜ!と言った
と、浄土三部経(大無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)と呼ばれる仏教経典に書いてある
お釈迦様が本当だと言っているのだから信じる
という教えです。
ところが浄土三部経の歴史的事実は、
お釈迦様の死後、数百年という時を経て
名もなき法師と呼ばれるどこかの誰かが
お釈迦様の名前をかたって
原作無視の二次創作作品を作った
長い年月の間に、内容の追加もされている
という厳しい現実が横たわっています。
お釈迦様は阿彌陀佛は本当だぜ!とは全く語っていなかったのです。
つまり非常に残念なことに、お釈迦様が語ったから本当だという中国文化圏仏教の南無阿弥陀仏の教えの大前提は完全に崩れています。
この問題を乗り越えるための案を阿含宗開祖は書籍に残しています。
これが今回のnoteのテーマです。
原作無視の二次創作作品が大人気になる
学者さん的には「創作経典」という言葉を使用していますが、今の若い人がストレートにわかる言葉で言うと「原作無視の二次創作作品」となります。
現代風の例えで現状を説明すると、
あなたは、原作者の名前をかたって、原作無視の二次創作作品を作成してコミケ等で販売した
現代を生きる我々にとって、そしてなによりも、大好きな漫画やアニメ、ゲームの二次創作をしている同人作家さんたちにとって、
この行為は色々な意味で魂が揺さぶられると思う。
第三者から色々な意味で物理的に揺さぶられるかもしれない。
しかも、その話には続きがあって、
・この原作無視の二次創作作品が大人気になってしまった
・本物の原作は、読む価値無しとして忘れ去られた
・この原作無視の二次創作作品こそが本物だと千数百年以上経過した未来で信じられている
・知らないうちに、追加要素も足されている
・自国では廃れて消滅したけど、翻訳されて、外国で大人気である
・宗教として信じられている
・あなたの二次創作作品を本物だと信じて数百年活動してきた巨大宗教組織がある
・あなたの二次創作作品を本物だと信じた人々と敵対勢力が戦争をして殺し合い、数え切れないほどの犠牲者が出た
・学者さんは「歴史的事実は関係無く、宗教的事実こそが重要である」と言ってあなたの二次創作作品を熱烈に支持している
同人作品を作っている方は、こんな偉業を成し遂げられる二次創作作品を作る自信がありますか?
そう考えると、有名な原作者の名前をかたったとはいえ、このような作品(大乗仏教経典)を作れたことは純粋に驚異的です。
原作者の名前で作品を作るという倫理観については、当時と現代とでは考え方が異なりますから仕方ないでしょう。しかしながら現実問題として、ファンタジー作品を本物と信じてファンタジー作品の中の何かを信仰することになるわけですから、本当にそれで良いのか?という疑問を持ち、考える機会を作っていただけると、ありがたく思います。
浄土三部経を事例に挙げましたが、それだけではなく法華経を含む多くの大乗仏教経典全般に共通する問題です。
解決手段は真正仏舎利を中心に置く
ここから先は、この歴史的事実を大学等で学び、真剣に悩んでいるお寺の後継者さんを対象読者として書きます。
阿含宗開祖は、この問題についての解決方法を語っています。
テクニカル面でいうと、
1.本当の霊力を宿した真正仏舎利を中心にお祀りすること。
2.真正仏舎利が宿す聖霊、つまりお釈迦様にお願いして自坊の本尊に変身して降りてきてもらうこと。
3.別に宗旨宗派を変える必要は無い
これが全ての基礎になります。
ブッダの南無妙法蓮華経
数年前、阿含宗の神奈川チームは、比企一族という鎌倉時代の有力者一族の供養護摩法要を鎌倉の某所で行いました。
この供養護摩法要のあとで、比企一族の墓所がある鎌倉の日蓮宗のお寺で、日蓮宗の僧侶さんを導師に供養法要を行いました。日蓮宗の僧侶さんには説明しなかったので「???」だったと思いますが、その時に阿含宗開祖の霊力を宿したお護摩の炎を本尊とするため、炎が付いたランプを墓所に置いて供養のご法楽をあげました。
つまり、
・鎌倉にある日蓮宗のお寺で
・日蓮宗の僧侶を導師に
・阿含宗の会員信徒数名が
・阿含宗開祖の霊力を宿したお護摩の炎を本尊として
・一生懸命、大きな声で「南無妙法蓮華経」とお題目を唱える
ということをしました。
ボクも参加しました。
このとき、単純にお題目を唱えるのではなくて、
・お護摩の炎に宿った阿含宗開祖の霊力の波動に
・「南無妙法蓮華経」のお題目の声を重ね合わせて
・法要の供養対象の人々全員に、
・お寺全域に、
・「南無妙法蓮華経」というお題目を信じた人たち全てに
・霊力の宿ったお題目を届ける
ということを全身全霊を込めてお題目を唱えながらイメージするわけです。
それを本気でやる。
霊感のあるボクは、このとき、本当に手応えを感じました。
阿含宗開祖は、このnote下部にリンクを張った書籍「人は輪廻転生するか」を発刊したときに、このように語っていました。
当時のボクは、ふーんと思って聞いていたけれど、今のボクは、なるほどよくわかる。
あの感覚は霊感を持たないと理解できないと思うけれど、確かな手応えがあり、なるほど「ブッダの南無妙法蓮華経」とは、このことなのだ、ということを実体験を通して理解しました。
お題目や念仏にブッダの霊力の載せて届けることができるという確信です。
無量寿如来と無量光如来
今、阿含宗はブータン仏教と非常に強固な絆があり、ブータン仏教が日本に伝来しているような状況です。この伝来している要素のひとつに新しい仏様の伝来があるのですが、その仏様の代表が無量寿如来と無量光如来です。
浄土宗や浄土真宗で学ばれた方はご存知と思いますが、阿弥陀如来の原語に遡るとアミターユス、アミターブファがあり、それぞれ
・アミタアーユス
・アミタブファ
となります。
阿含宗は阿彌陀佛を祀らないけれど、ブータン伝来の無量寿如来と無量光如来はお祀りします。
この二尊には特別な役割というか意義があるから阿含宗でお祀りするのですが、日本人の考える伝統的なイメージの阿彌陀佛とは異なる役割ですので、阿含宗では阿彌陀佛とは別個の存在として認識しています。この話はこのnoteでは割愛します。
ここで伝えたいのは、阿含宗には浄土宗や浄土真宗でも受け入れやすいであろう無量寿如来と無量光如来がいらっしゃるので、真正仏舎利と一緒に、この二尊の力も借りることができたならば、自坊の阿彌陀佛に霊力を宿してもらうという試みもしやすいのではなかろうか?と考えてみてほしいということです。
家業を継いだ悩める僧侶さんへ
家業としてお寺を継いだけれども、ちゃんと仏教の歴史、仏教の思想史を学んだ仏教者としては、お釈迦様が語っていないものをお釈迦様が語ったと檀家の人たちに伝えることに良心の呵責を感じて悩んでいる僧侶さんは少ながらずいらっしゃると思います。
でも、どうすればよいのか、わからないのが現状ではないでしょうか。
本当の霊力(阿含宗では成仏力と呼ぶ)を持つ真正仏舎利尊を中心に、そこからの変化身として自坊の本尊をお祀りすれば、それは霊力を宿した本当の本尊になるというのが、この悩みに対する阿含宗開祖の考えでした。
つまり(宗派の中央の人たちには、たぶん秘密で)阿含宗でお御霊入れをした真正仏舎利の御本尊様を自坊に安置していただければ良いので、別に宗旨宗派は変える必要は全く無いのです。
そして霊力を有する真正仏舎利尊と、その変化身として霊力を持った自坊の本尊の力で、自坊の霊的浄化をし、お預かりしている地域の先祖代々の霊位を供養して、さらには地域そのものも霊的浄化して、自坊を地域のパワースポットと化す。
簡単な道のりではないけれど、これは決して夢物語ではない、とボクは考えています。
このリンク先の書籍は、真剣に悩む浄土真宗の僧侶さんの文章を読んだ阿含宗開祖が、阿含仏教の内容と比較しての浄土真宗の教義の問題点、そして阿含宗視点での具体的な解決方法(概ね、このnoteに書いた内容)を書いた書籍です。
浄土真宗の僧侶さんだけでなく、自宗のお経をどう考えるか悩んでいる全ての僧侶さんのヒントになる本であると思います。
最後に、この書籍に書かれている悩める浄土真宗の僧侶さん向けに書かれた阿含宗開祖の言葉です。
過去のnote
ここまで読んでいただいた人へ、関連するnoteへのリンクを並べました。
興味のあるnoteがあれば、ご参照ください。
ブータン仏教が伝来している件について
このnoteの後半部分は、仏教史等を勉強した僧侶さんを想定読者としています。勉強をする中で仏教の歴史全般に興味を持ったことがあるならば、今、起きている歴史的事件の記載になりますから、是非とも目を通していただきたいです。
ブータン伝来の無量寿如来と無量光如来についても少し記載しています。
阿含経を学び直してみる
このnoteの後半部分は、仏教史等を勉強した僧侶さんを想定読者としています。ですので阿含経の存在も、阿含宗の存在も知っているはずです。
知っていても、阿含宗開祖の阿含経解説を読んだことがないという方が多いと思われますので、上中下の三冊の紹介リンクを張りました。
阿含経やパーリ五部と言いながら、詩のような文章を並べて、わかったような気になるだけで、実は何を言っているのかよくわからないような解説本や翻訳本を読むのではなく、実践者による理路整然としたがっつりした解説書を読む機会を持ってほしいです。
下記に紹介する書籍は漢籍原文の阿含経、書き下し文、阿含宗開祖の解説という構成になっています。
上巻
阿含宗開祖がまず最初に知ってほしい「八法十六法」という修行法について書かれた経典がトップバッターとして掲載されています。もしどこかの仏教者が「仏教は自分が瞑想して自分が救われることであり、他者を変えることはできない」と主張していた場合、その説明は完全に誤りであるということを堂々と指摘できる阿含経典です。是非、読んでほしい仏教の本当の教えです。
中巻
「意生身」という、現代の我々が一般的に幽霊と思う存在をお釈迦様がはっきりと認めている経典が掲載されています。お釈迦様は霊魂を説かなかったという一部の人の説明は誤りです。それをこの書籍でご確認いただければ幸いです。
下巻
仏教は道徳・哲学であって、お釈迦様は輪廻転生も死後の存在も認めていないと本気で考えている人は、この本を読んで、今までの自分が何を学んできたのか、改めて考え直してみる機会を持ってほしいです。この書籍は、お釈迦様が認識している輪廻や死生観をテーマにした阿含経典が多く掲載されています。
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