見出し画像

ブータン仏教の霊力の伝来

現在、ブータン仏教の中枢と阿含宗は非常に深い交流があり、仏教史的な言葉を使用すると、現在進行系でブータン仏教(チベット仏教カギュ派)が日本に伝来しています。

これらの交流を支える原動力は「ブータン仏教の霊力」の存在です。
「ブータン仏教の霊力」とは何かと言うと、言葉の通り神仏が発するエネルギーのことで、ブータン仏教界において霊能力を持つ高僧がその生涯をかけて何世代にも渡って練り上げてきた密教の奥の奥にある強力な霊的エネルギーのことです。

大多数の人は霊能力を持っていませんから、「ブータン仏教の霊力」と言われても、わからないけど言葉通りにありがたく受け取るか、わからないのでスルーするか、あるいは全否定するか、各自が様々に受け取ることでしょう。

しかしながら何らかの霊能力がある人が「ブータン仏教の霊力」に触れると、マジかよ!ナニコレ!という具合に強烈なエネルギーを体感します。
このnoteでは、神仏の霊気を知覚できる霊感の持ち主視点で、ベクトルを振り切って書きました。

そういう超能力、霊能力的なことではなくて、第三者の目に見える形、仏教史や学術的な視点、新しい仏像や仏画の導入、人的交流といった一般的な視点でブータン仏教伝来に興味関心がある方は、こちらを参照ください。
ブータン仏教が阿含宗に伝来している現状は、日本の仏教史に残る非常に大きな文化交流です。


密教の伝来は霊力の伝来が伴う

ピリ辛スパイシー味

密教の伝来は、必ず、霊力の伝来が伴います。
伝法灌頂等の儀式も重要ですが、それに劣らず重要なのは霊力が付与された法宝ほうぼう宝物ほうもつが引き継がれることです。

ボクがホームグラウンドにしている阿含宗の東京の道場では、年に1回くらいブータン仏教方式の護摩法要があり、ブータン仏教伝来の特別な曼荼羅が本堂の内々陣に飾られます。

その日は、本堂に入った瞬間に「なんじゃこりゃ~」という、いつもと全く違う霊気で本堂内が満たされています。
どう考えても霊気の発生源はブータン仏教の曼荼羅です。
「うはぁ、やる気満々じゃん!」と、神仏の気合を感じます。
そして、この霊気が具体的にどのようなものかを説明すると、

ピリ辛スパイシー味・・・

霊気というのは感覚なので、味覚で説明をする自分がどうかしているというのは、自分でも理解しておるのですが、でもあれは胡椒、唐辛子、山椒といった馴染みの香辛料とは異なる異国風味の香辛料の味がして、辛いか?と言われると、それほど辛くないけど、でも、例えるならば、やっぱり「ピリ辛スパイシー味」としか言いようがない感覚でした。

異界ゲート

密教の法というのは、ゲームやファンタジー作品の用語で言うと「召喚魔法」の行使です。正しくは「召喚」ではなく「勧請かんじょう」という動詞を使用するのですが、使用する単語はともかく、結論としては神仏にお願いして、こちらの世界に来ていただく魔法です。

そして、あちらの世界にいる神仏がこちらの世界に降りてくるときは、その神仏と縁がある本尊をめがけて、どどーーんと霊気・霊力が降りてくる。
だから本尊というのは、神仏がいるあちら側の世界と、我々がいるこちら側の世界を繋ぐ異界ゲートであると考えればわかりやすい。
そして異界ゲートであるとすれば、本尊の力の強さは、ゲートの大きさやエネルギー伝達効率で決まります。
注:異界ゲートが付与されていない仏像や仏画は「縁が無い」ので神仏が降りてくることができません。

ブータン仏教は、本当に霊能力がある人物を探し出してきて、その人の生涯をかけてご供養を続けるということを、何世代にも渡って繰り返してきたのではなかろうかと思われます。長い年月をかけて「霊力を練り上げてきた」という表現で、阿含宗の偉い人たちはブータン仏教のことを褒め称えていました。

「霊力を練り上げる」という行為が、ボクの言葉で言えば異界ゲートの拡張とエネルギー伝達効率の向上に該当します。
ゲームやファンタジー作品用語で言うなれば、最初に誰かが異界ゲートを付与する魔法を行使して、その後は異界ゲートにバフの重ねがけを何世代にも渡って繰り返してきたという表現になります。
その結果、異界ゲートの質がものすごく高くなるから、それに比例して異界ゲートを超えて放出されるエネルギー量も多くなるという理屈です。

その強烈な異界ゲートが付与された仏像や曼荼羅等々の仏教の法宝がブータンから日本にやってきています。それは即ち、ブータン仏教の異界ゲートの向こう側にいるブータン仏教系の神仏が、異界ゲートを超えて日本にやって来るようになり、しかもそのパワーが強烈ということを意味します。

霊能力がある人から見た密教の伝来というのは、異界ゲートが物理的に伝来することであり、そのゲートの向こうにいる神仏が降りてくることができる橋頭堡が新たな地に築かれるということなのです。

阿含宗には、大きな霊力の源泉とも言えるものがいくつかあります。代表的なものは3つ。1つ目は阿含宗の本尊、お釈迦様の本物の御聖骨・真正仏舎利尊、2つ目は阿含宗開祖の御聖骨・開祖真身舎利、そして3つ目がブータン仏教の霊力。
なんとなくエネルギーを感じるというレベルを超えて、霊気の違いがわかるところまで霊感が到達すると、これらの発する霊気、波動、エネルギーの種類が三者三様で全く違うことがわかります。

波動の違いを感じるようになると、なるほど確かに「ブータン仏教の霊力」という新しい霊力の源泉が他国からやってきたのだ、ということを体感で納得することができます。そして密教の伝来というのは、新しい神仏がやってくることが伴う行為なのだなということを理解することができます。

体験は2月の星まつりで!

一般の方がブータン仏教の霊力を体感できる機会は、このnoteを書いている時点では2月に京都で行われる「阿含の星まつり」のみです。
「阿含の星まつり」は毎年2月10日付近の日曜日に行われます。

阿含の星まつり 結界の護摩壇点火直後の様子

何らかの霊能力があると自認している人や、家族や知人に霊能力を持つ人は、次の2月初旬に行われる「阿含の星まつり」への参拝を是非ともご検討ください。これを読んだ今この瞬間に各自のスケジュール確認に走ってほしいくらいです。場所は京都です!

本当にそんな霊力が存在するの?
霊力に種類の違いなんてあるの?

レベルが上がらないと霊力の違いの判別は困難かもしれませんが、存在そのものは「あからさま」にわかります。
是非とも、あの巨大な霊力を体感してもらいたいと思っています。

神仏の存在があるから宗教

宗教は人智を超えた神仏の存在があるから宗教です。
宗教は、思想・哲学・倫理・道徳・自己鍛錬・自己研鑽・瞑想技術ではありません。そこを理解していない人が、世の中には、あまりにも多い。

特に仏教は、最終目標はブッダという特殊な霊的進化を果たした存在になることが目的だけれども、それは平たく言えば、自分自身が神様仏様になることを目指すことです。
ただ、ストレートに神様仏様になるわけではなくて、普通は、それまでの間に神仏見習いとか神仏の眷属といった段階を経由します。

修行をしているあなたが、仮に神仏見習いくらいまでのレベルに到達して死んだ場合、死後は神様仏様見習いとして、例えば護摩法要などのときに偉い神様仏様のお供として一緒に降りてきて、何か世のため人のために働いて実績を積み重ねて、あちらの世界でさらに高いレベルにあがっていくことが予想されるわけです。

霊能力を持つと、実感として、そこまで思いが至るようになります。

だから、神仏の存在を語らず、神仏の助力を得ることも語らず、今この時を感じて瞑想し、呼吸を極めればブッダになれるなどと言って仏教を語る人たちは、霊能力が皆無だから大事なことを全く理解していない(どころか完全な誤りを吹聴している)ということが、こちら側から見ると、すぐにわかってしまう。

人は信じたいものを信じる生物ですから、神仏を語らない仏教を信じたいなら、それでも構いません。
ただ、ボクの希望としては、ちゃんと神仏の存在を語り、霊能力がある人が知覚可能な神仏がそこに存在して、しかもブータン仏教の霊力という新しい強力なメンバーが加わった教団に属する人の語りを心に留めていただいて、できればお試しで阿含宗の護摩法要に参列してみたり、できればお住まいの地域や神社のイベントに阿含宗の護摩法要を要請していただいたり、2月に京都で行われる阿含の星まつりに参拝してほしいなと思っています。

過去のnote

ここまで読んでいただいたなら、目を通してほしいなと思う記事をいくつか

神仏の加護は数字に出るんですよ、という話。

神社関係者さん、阿含宗にお声がけください
こんな感じでやっております。

ストレートで神様仏様になるのではなくて、そこには段階があるのですよということを書きました。
正直申し上げますと、ここで説明している「四沙門果ししゃもんか」を知らずに原始仏教、根本仏教を語る人は勉強不足どころの話ではありません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?