仏教学者「お釈迦様の仏教には教義教学が無い」←あるよwww
良いことを書いているなぁと思ってた仏教学者さんが、なんと2人も
と書いているのを発見して、ボクには全く意味不明。
これは最近の日本の仏教学者さんの流行語なのであろうか?
ちょっと考えれば、これが詭弁だということがわかるはずですが、日本の仏教学者さんは、それが理解できないのであろうか?
対機説法というのは、相手や場所にあわせて内容を変えて説明するということなのですが、宗教に限らず、学問や仕事の業務説明等々で、相手に合わせて説明の仕方や内容を変えるということは、誰でも当たり前にやっていることです。
でもそれは、コアとなる知識・知見・定見があるからこそ、相手に合わせて対機説法ができるのです。
今どきの学者さんって、こんな簡単なことが、わからないのですか?
知識・知見・定見がなく、都度思いつきで語る典型事例に素晴らしい人がいます。2024年に東京都知事選挙に出馬して大惨敗したR4。
周知の通りR4は(というよりR4の所属する党の政治家の大半が同様なのだが)過去の自分の発言を全く記憶していないのか、平気で矛盾する事をその時の思いつきで発言し、その事を指摘されても一切無視して(指摘事項を理解できていない?)、日々、そのまま継続して思いつきで発言し続ける。あのような言動、振る舞いがまさに「対機説法で統一的な定見が無い」状態です。
だから「お釈迦様は対機説法をしていたので、統一的な教義教学が無い」という指摘は「お釈迦様は、R4のように!!、都度、思いつきでテキトーな事を語っていた」というふうに、ボクには理解できるわけです。
そんなアホな話があるかよ。
そんなテキトーな事ばかり語っていたら、R4のように矛盾だらけの発言になって、辻褄が合わなくなって、宗教として残す価値もなく消え去るでしょうよ。そのくらい理解しろよ!とボクは言いたい。
もしかしたら、教義教学、教理というものの定義が、ボクと学者さんでは異なるのかもしれないが、違うとしたら何だろうか?
自分の主張をまとめた書籍を残さなかったから教義教学が無いとか?
それを言ったらキリスト教も教義教学が無いのでは?
よく、わかりません。
原始仏教の教義教学をざっと並べてみる
さて、日本の仏教学者さんによると「お釈迦様は対機説法をしていたので教義教学がない」ということなので、阿含宗開祖が阿含経を研究し、そこから抽出した阿含経の教義教学を並べてみましょう。
ここに並べている事項は
「阿含宗では」ではなく、
「阿含経典では」です。
・縁起論
因:悪因悪業カルマ・タンハーの存在があって、
縁:因に対応する縁が発生し
果:何らかの結果が発生し
報:その影響がずっと続く
これが全ての基本、教義教学のスタート地点となります。
・四諦
苦:人生って「苦」だよね
集:それは悪因悪業カルマ・タンハーが集めてくるものなんだよ
滅:だから悪因悪業カルマ・タンハーを消滅させる必要があるんだ
→なぜならば因:悪因悪業カルマ・タンハーが消滅することで、不幸な「縁」が発生しなくなり「苦」が解消できるから。
道:そのための修行法があるよ。具体的には「代表的な修行法」を参照ね。
・代表的な修行法
1.七科三十七道品
2.三善根(阿含宗では三福道と呼んでいる)
3.八法十六法
・六道輪廻の世界で生死輪廻
人は悪因悪業カルマ・タンハーがあるがゆえに、六道輪廻の世界で生死輪廻を繰り返す。
悪因悪業カルマ・タンハーを消滅させることで六道輪廻の世界を脱し、最終的にはブッダになることが、大目標となります。
・四沙門果
六道輪廻の境界を脱出すると四沙門果の境界に入る。
六道輪廻の境界にある凡夫は、いきなりブッダになるわけではない。
まず最初にシュダオンとなり、そこから順次境界が上がっていく。
1.シュダオン(漢訳・七来)
2.シダゴン(漢訳・一来)
3.アナゴン(漢訳・不還)
4.ブッダ
重要な事柄として、四沙門果の境界に入ってしまうと、本人が望まなくても、必ずブッダに到達してしまうとお釈迦様が説いています。
シュダオンになると3回から7回、人として生まれ変わってくるうちにブッダになってしまうので、チベット仏教の言う活仏で10代目を超えるなんて人は、聖者でもなんでもなく六道輪廻を彷徨うただの凡夫であり、チベット仏教では成仏できないことを活仏の存在を通して証明している、ということになります。
これが仏教の一般教養として広まるとチベット仏教はヤバいです。
四沙門果を理解したら、必ず活仏とは何か?というツッコミが出てきます。だから最初の活仏Aさんの魂は成仏していて、現在は別のBさんの魂が活仏Aとして生きる使命を得て頑張っています等々の後付の理屈を考えて押し切るしかないかもしれません。
・ブッダになると物理的な人間として生まれ変わってこない
因:悪因悪業カルマ・タンハーが消滅しているので
縁:この世界に物理的な人間として生まれ変わってくる「縁」が発生せず
果:物理的な人間として生まれる結果が生じない
報:だから仏界にいます
お釈迦様の語ったことが正しいとするならば、お釈迦様の生まれ変わりを自称する人間は偽物であることを意味しています。
それでもお釈迦様の生まれ変わりを自称するならば、お釈迦様時代に語ったことは全部ウソだったということになりますから、その落とし前をつけてください。
・二種類の生まれ変わり
生まれ変わり、輪廻転生には2種類あります。
1.分段生死:六道輪廻の凡夫の普通の生まれ変わり
2.変易生死:四沙門果の境界生まれ変わり
変易生死の実態は、人の魂がどこから来て、どこへ還るのかということが見える霊眼の持ち主になれば、一発で理解できると阿含宗開祖は語っています。
ざっと思いつくレベルで並べましたが、これらは阿含宗開祖が阿含経典から抽出して、阿含宗会員信徒の実践のためにまとめたブッダのコアな教義教学であり、そのまま阿含宗の教義教学の基礎となっています。
学者さんの言う「お釈迦様は対機説法をしていたので、統一的な教義教学が無い」が正しいとするならば、これらは何?
学者さんたちを生暖かく見守る
現代の日本の仏教学者さんには
いかなる手段を用いても!!!!
何としてでも!!!!
どんなに的はずれな事を言っていると自分でわかっていても!!!!
それでも現代の新興宗教の教祖様である阿含宗開祖の主張を追認するわけにはいかない!!!
絶対に避けて通る!!!!
それができなかったら失業してしまう!!!!
という強迫観念でもあるんですか?
失業したら大変ですからね、そういう事情があるなら仕方ないかな~とボクも思います。
もしも失業や狭い世界の権力闘争におびえて、学者として本来言うべきことも言えないとするならば、そんな人生って「苦」ですよね!
それはあなたが、そういうカルマ(因)を持っているから、そういう環境に身を置くという「縁」が生じた結「果」なんですよ!
そんな人生をこれからもずっと続ける(報)のですか?
苦海にあるといえども後悔のない学者人生を歩んでください。
阿含宗の教義教学は、上記で述べた阿含経典のコアな教義教学の上に、阿含宗開祖独自の「霊障」とか「タテとヨコの因縁」とか仏舎利信仰とか、仏舎利が放出する成仏力・解脱力、成仏力・解脱力を具現化する具体的な手段としての密教様式(特に護摩法)による実践等々の要素が加わるわけです。
阿含宗開祖は、阿含経典のコアな教義教学と、阿含宗開祖独自の教義教学を全部ミックスして語っていました。中の人には線引きがわかりますが、外の人には区別がつかないかもしれないので、それが原因で学者としても言及しにくい、という部分があるのかもしれないなぁとも思っています。