なんのため描くかということ
8年ほど前、公園で似顔絵のイベントをしていた。
「プレゼント」ということで、お客さんからお代はもらわなかったので、
わるいからと言って飲み物、海岸で拾った貝、お返しに似顔絵を
描いてくれるひともいたり。そんなやりとりも楽しかった。
光、風、鳥の声....
お天道さまのご機嫌に、左右されながら、目の前に座ってもらって。
ただ公園の自然のなかで過ごす。その時間そのものが、良い時間だった。
1年以上はやっていたので、おそらく、100人以上は描いたと思う。
(数えていない)
覚えているのが、そのうちの何回か。
ぽろり。と、なんどかお客さんを泣かせてしまったことがあった。
ひとりは、50代くらいの男性で、描いている最中、ずっと微笑みながら
こちらを見てくれていたけど、出来上がったものを渡したとき、
急に表情が変わって、涙を流していた。
びっくりして聞くと、少し前に、奥さまを亡くされたとのこと。
自分はこんな表情だったんだ。大丈夫なんだと思ったと。
かける言葉が見つからなかった。ただ話を聞くだけのことはできた。
最後は、微笑みながらお礼をしてくれた。
もうひとりは、4歳位の女の子。
描いているあいだ(15分くらい)ずっと私を見てくれていた。
あまりに動かないので心配になり、休憩しようかと声をかけたけど、
頑なにモデルに徹してくれていた。
そして、出来上がったものを渡した瞬間、ぽろりと涙を流したのだった。
もしかしたら緊張の糸が解れたのか。謝ると、黙って涙を拭いていた。
そのあと、にこにこしながら似顔絵といっしょに写真を撮ってくれた。
※そのときの写真
もちろん、そんなことは数えるほどののことだったけれど。
大概のお客さんの反応は、できたものを渡すと「わぁ。」と、パッと表情が
明るくなった。こちらとしても、嬉しかった。
はじめた当初は、緊張していて自信がなかった。
けれど、目の前のそのひとをただ描く。
大層なことしているつもりでないけれど、
私はこんな表情をひとにさせることができるんだ。そう思ったのだった。
いまも、ただ喜んでもらうためにやっているなんて、言えない。
だれかにプレゼントするために描くだけじゃない。
結局は自分のためにやっている。
だけど、あまりむずかしく考えてしまったとき。
自分ができることの価値がわからなくなったとき。
あのひとにプレゼントしたいものはなんだろう。
どんな表情をみたいんだろう。
そんなことを考えることは、わたしのためになる。
そんなことを最近思い出したので、また思い出せるように。
振り返りをかねて。
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